4.欧米史

欧米史は大きく、古代、中世、近世、近代、現代の5つに区分されます。ここでは古代、中世、近世・近代に分けて欧米史の大きな流れを見ていきます。

1.古代

エーゲ文明
 前3000年ころからオリエントの影響をうけて、クレタ島中心にクレタ文明(ミノス文明)が栄え、アカイア人が侵入して、前15〜前13世紀ころミケーネ・ティリンスを中心にミケーネ文明をうみだします。しかし、前1100年ころドーリア人が南下してきてたミケーネ文明を破壊し、以後数世紀間、暗黒時代とよばれる混乱が続きます。暗黒時代から、ギリシアは鉄器時代となります。

<学習のポイント!>
 クレタ・ミケーネ文明の文字・発掘者・民族・性格を確認しよう!

ギリシア
 ギリシアではイオニア人・ドーリア人などが分立し、前8世紀ころポリスが成立しました。前7世紀ころになるとギリシア人は広く地中海や黒海沿岸に進出して、植民市を建設して貿易を行いました。
 アテネでは産業の発展により平民が参政権を要求するようになり、ドラコン、ソロン、ペイシストラトス、クレイステネス、ペルシア戦争を経てペリクレスの時代に民主政治が完成した。
 スパルタはドーリア人のポリスで、少数のスパルタ市民が、ペリオイコイ(周辺の民)やヘロット(奴隷身分の農民)を支配し、リュクルゴスの制がとられました。
 ペルシア戦争以後アテネはデロス同盟の盟主としてほかのポリスを支配していましたが、衆愚政治におちいってたアテネはペロポネソス戦争でスパルタに敗れて、スパルタに覇権が移りました。前4世紀にはスパルタにかわってテーベが一時有力になり、前4世紀後半からマケドニアのフィリッポス2世がギリシアに侵入し、前 338年のカイロネイアの戦いでアテネ・テーベ軍は敗れてギリシアはマケドニアの支配下となります。

<学習のポイント!>
アテネの民主主義の達成の過程と内容をチェックしよう!!
・ペルシア戦争の原因と経過、影響をチェックしよう!!
 
特にどの戦いがダレイオス1世かクセルクセスが行ったかということと、サラミス海戦で無産市民が参加したことで無産市民の参政権獲得の契機となったことを確認!!
・スパルタの内容も確認
・ポリスの衰退の過程をチェックしよう!!

ヘレニズム時代
 フィリッポス2世の子アレクサンドロス大王は、東方遠征を行い、ギリシアからインダス川流域にまたがる大帝国を建設しました。しかし、アレクサンドロス大王が急死すると部下たちが領土をめぐって争い、エジプトのプトレマイオス朝、シリアのセレウコス朝、マケドニアのアンティゴノス朝の三分されました。アレクサンドロス大王の遠征開始からプトレマイオス朝滅亡までの約 300年間をヘレニズム(←ドロイセンが命名)時代といいいます。前2世紀にはエジプト以外の地中海を支配するまでになりました。

<学習のポイント!>
アレクサンドロス大王の遠征の過程を確認!!
・ヘレニズム3国の場所と滅亡の内容をチェック!!

ローマ
ローマは共和政期と帝政期の2つに分けられて、また共和政期を身分闘争と半島統一・ポエニ戦争・内乱の1世紀に、帝政期を元首政・3世紀の危機・専制君主制のそれぞれ3つの区分ができます。

<共和政期>
身分闘争と半島統一:
イタリア人の一派のラテン人が、都市国家ローマ建設し、はじめはエトルリア人の王に支配されていましたが、王を追放して、貴族(パトリキ)中心の共和政になりました。ローマは半島の統一の過程で平民(フレブス)が参政権を要求して貴族と身分闘争をおこし、この対立は前 287年のホルテンシウス法制定まで続きます。

ポエニ戦争半島の統一後、ローマはカルタゴと3度にわたりポエニ戦争を戦い、前2世紀なかばにはカルタゴ破壊され、マケドニアを征服、前1世紀中頃にはエジプト以外の地中海を支配します。

内乱の1世紀:ポエニ戦争の重装歩兵として戦っていた中小土地所有農民は、農地が荒廃し、属州から安価な穀物が入ってきて没落し、「パンと見せ物」を求めてローマなどに流民化します。一方、奴隷(戦争捕虜を奴隷にしました)を使ってラティフンディウム(奴隷制大農場)が発展します。前2〜前1世紀にシチリアなどで奴隷反乱がおこるなど、社会が混乱し,グラックス兄弟が改革に乗り出しますが失敗に終わります。その後有力者は流民を傭兵として雇い、平民派と閥族派が激しく争うようになり、また同盟市戦争やスパルタクスの反乱などがおこり、ローマの混乱は頂点に達しました。前60年にポンペイウス・カエサル・クラッススらが第1回三頭政治をはじめ、カエサルはガリア遠征します。やがて元老院と結んだポンペイウスにカエサルが勝利しますが、カエサルは独裁をしいたのでブルートゥスらの共和主義者に暗殺されてしまいます。カエサル死後はオクタヴィアヌス・アントニウス・レピドゥスが第2回三頭政治を行いますがクレオパトラと結んだアントニウスとオクタヴィアヌスが対立してアクティウムの海戦(前30年)でアントニウスが破れ、100年におよぶ混乱がようやくおさまりました。この100年を「内乱の1世紀」と言います。

<帝政期>
元首政:
オクタヴィアヌスは元老院からアウグストゥス(尊厳者)の称号をうけて帝政を始めますが、彼はプリンケプス(「第1の市民」)として政治をおこない、これを元首政と呼びます。五賢帝の時代にローマは最盛期をむかえ、領土は最大となり、シルクロードや「海の道」を経てインド・中国と貿易もおこないました。また、アウグストゥスの時代にイエスが生まれて、やがてキリスト教が成立しますが、イエスは処刑され、その後は弟子のペテロ・パウロにより布教活動が続けられます。ネロの弾圧などローマ皇帝はキリスト教を弾圧していきますが信者の数は徐々に増えていきます。

3世紀の危機:3世紀になると各地の軍隊が皇帝を擁立して争う軍人皇帝時代となり、またゲルマン人やササン朝の侵入などでローマ帝国は動揺します。また、ラティフンディウムは戦争捕虜などの奴隷が激減して維持できなくなり、奴隷をコロヌス(小作人)として穀物を生産させるコロヌス制へと変化していきました。この混乱は「3世紀の危機」と呼ばれています。

専制君主制:3世紀末にディオクレティアヌス帝が混乱を収集して帝位につくと、皇帝崇拝を強化して専制支配をおこない、これ以後を「専制君主政」といいます。ディオクレティアヌス帝はまた帝国を4分統治して、帝国の中心はローマからビザンティウムに移っていきます。この4分統治は混乱をもたらし、コンスタンティヌス帝により統一され、ビザンティウムをコンスタンティノープルと改称し、コロヌスの移動を禁じました。その後に帝位に継いだテオドシウス帝は395年にローマ帝国を東西に分割して2子にわけあたることとなります。ディオクレティアヌス帝の時に大弾圧を受けたキリスト教はコンスタンティヌスの時に保護されるようになり、ニケーア公会議で教義の統一が図られました。そして、テオドシウス帝の時にキリスト教は国教となりました。

<学習のポイント!>
・ローマ初期の身分闘争の過程と内容をチェック!!
ポエニ戦争の過程と戦後のローマ社会の変化をチェック!!
・「内乱の1世紀」過程を確認!!
シチリア・スパルタクスの乱→クラックス兄弟の改革→門閥派・平民派の対立→第一回三頭政治→第二回三頭政治→帝政に。三頭政治の3人の組み合わせを混同しないように!!
・平民派と閥族派の有名な人物は?
・アウグスティヌス、トラヤヌス、マルクス=アウレリウス、カラカラ、ヴァレリアヌス帝の内容を確認!!
・ローマ市民権:同盟市戦争→イタリア半島に、カラカラ帝→全地域に
・ディオクレティアヌス、コンスタンティヌス、テオドシウス帝の内容を確認!!
・ニケーア公会議の内容を確認!!
正統・異端の宗派は? 異端の宗派はその後どこに広まった?
・西ローマ帝国は分裂後どうなった?

2.中世

中世は6〜10世紀の初期、11〜13世紀の中期、14・15世紀の末期の3つの時代に区分されます。もう一つ、各国史の縦の流れで出題されることがあるので各国史でも見ていってください。

初期

 ゲルマン人の大移動後、西ヨーロッパにはフランク王国などゲルマン人の王国が誕生し、6世紀のビザンツ皇帝のユスティニアヌスの北アフリカ・イタリアの征服を経て、カール=マルテル、ピピン、カール大帝の活躍でフランク王国が強大化していきますが、9世紀にフランクは分割され、後の仏独伊の原型が出来ました。7世紀にはイスラーム教徒が、9世紀にはマジャール人、ノルマン人が西ヨーロッパが進出して、西ヨーロッパの王・諸侯たちは互いに協力して、領土を守るために封建制度を結び、農奴を使った荘園制(古典荘園といいます)が成立しました。キリスト教では、ローマ帝国分裂後に教会も東西に分かれていき、ローマの教会(後のローマカトリック)はフランク王国の後ろ盾を得て、ビザンツ皇帝の保護下にある東方の教会(後のギリシア正教)に対抗しようとして、800年にカールを西ローマ帝国皇帝にして、ここに西ヨーロッパ世界が確立しました。東欧ではビザンツ帝国が栄え、スラヴ人の国家が各地で形成され、ポーランドやボヘミアなど西スラヴとはカトリックを信仰するなど西欧の影響・支配を受け、ブルガリアやセルビアなどの南スラヴはビザンツの影響・支配を受けます。マジャール人はハンガリーに王国をたてます。ロシアはノルマン人がたてたノブゴロド国、キエフ公国が栄え、次第にスラヴ人と融合して、キエフ公国ではビザンツの影響を受けギリシア正教に改宗します。

<学習のポイント!>
ゲルマン民族の移動先・宗教・滅亡をしっかり確認!!
宗教:フランク(アタナシウス派)以外はアリウス派!!
フランク王国の発展と分裂をチェック!!
教皇との関係や分裂の2つの条約を混同しないように!!
ノルマン人・マジャール人の移動先をしっかり確認!!
・封建制度と荘園制の内容をチェック!!
封建制度=従士制+恩貸地制、双務的契約関係(中国では血縁!!)、複数の主君に使えても可
荘園制:農奴(移動の自由なし)、各種の税、賦役、三圃制・重量有輪犂→生産量UP→貨幣経済に→税は地代に一本に(賦役の廃止)

中期
 11世紀になると三圃制や農具などの技術革新により、農業生産力が向上して、ローマ末期の混乱で衰退していた商業が復活して、中世都市が誕生して北欧のハンザ同盟やフランスのフランドル、シャンパーニュ、東方貿易をおこなったジェノバ・ヴェネツィアなどのイタリア諸都市が栄えました。また、商業の復活でもたらされた貨幣経済が農村まで浸透しはじめ、それまで現物や労働(賦役と言います)での納税から貨幣による納税へと変わります(純粋荘園といいます)。この経済面での繁栄を背景にレコンキスタやドイツへの東方植民、地中海への十字軍など西ヨーロッパの外へ拡大していきます。キリスト教会では聖職叙任権で争ったカノッサ事件を契機にローマ教皇が皇帝や王の力をしのぐようになり、13世紀に絶頂期を迎えました。東欧ではイスラーム・スラヴ勢力の攻勢や北イタリア都市の進出などでビザンツ帝国は衰退していき、13世紀のモンゴルの進入では南ロシアがモンゴルの支配下になり、ポーランドやハンガリーな大打撃を被りました。

<学習のポイント!>
・中世都市の内容を確認!!
ギルドってなに? シャンパーニュ、ハンザ同盟、フランドル(毛織物←英の羊毛)、東方貿易(ヴェネツィア・ジェノバ)、アウグスブルク(銀)、フィレンツェ(毛織物)
叙任権闘争の過程や十字軍の内容をチェック!!
特に十字軍は3、4回の内容と影響をしっかり確認のこと!!

末期
 十字軍の失敗や英仏百年戦争やバラ戦争を通じて、諸侯や騎士は次第に没落し、次第に王権が強くなってきます。また14世紀に黒死病(ペスト)の蔓延で人口が激減し、農奴の地位が上がって農奴解放が進みますが、領主は再び農奴への締め付けを強める(封建反動)と農奴達は農民反乱を起こし、英ではヨ−マンに、仏では小作農(領主との封建的関係はフランス革命まで残ります)になっていきました。ました。エルベ川以北では東方植民により農民は比較的自由でしたがこのころに領主が農民を押さえ込み農奴制を成立させました。キリスト教会では十字軍の失敗や、聖職者への課税を巡り仏王と教皇が対立し、教皇は監禁され(教皇のバビロン補囚)、一時は3箇所に教皇が並び立つこと(大シスマ)となり、教皇権は失墜していきます。東欧ではオスマン帝国の進出でビザンツ帝国は滅亡し、南スラヴもオスマン帝国の支配を受けるようになります。

<学習のポイント!>
教皇の没落の過程をチェック!!
農奴解放の各地の差を確認!
各国の身分制議会(特に英!!)をチェック!!
百年戦争の原因・経過・その後の影響などを確認!

3.近世・近代

近世・近代は 16世紀、17世紀、18世紀、19世紀前半の4つの世紀で見ていくと・・・
16世紀:ルネサンス、大航海時代、宗教改革、スペイン・イギリスの絶対主義
17世紀:フランスの絶対主義、オランダの世紀、イギリス市民革命
18世紀:露・普・オーストリアの絶対主義(啓蒙専制君主)、産業革命、米独立、仏革命
19世紀前半:ウィーン体制、国民国家の成立

もう一つ、各国史の縦の流れで出題されることがあるので各国史でも見ていってください。

ルネサンス

 12世紀ごろから十字軍やレコンキスタなどイスラーム教徒と接触するようになって、アラビア後の文献がトレドやシチリアでラテン語訳がされ、アラビア文化に継承されていたローマ・ギリシアの文化がヨーロッパに持ち込まれました。(これは「12世紀ルネサンス」といいます。)このことなどを背景として、14世紀からフィレンツェなどでルネサンス(文芸復興)がおきて、中世のキリスト教的な文化から人間中心的な文化となりました。

<学習のポイント!>
ルネサンスの文化人名と作品をチェック!!

大航海時代
 また、マルコ=ポーロの「世界に記述」などにより、アジアへの関心が高まり、羅針盤などの航海技術の進展により、15世紀後半からポルトガルがアフリカ大陸回りでアジアをめざし、1498年にガマがインドのカリカットに達しました。1492年にはトスカネリの「地球球体説」を信じたコロンブスが西インド諸島に到達し、16世紀前半にマゼランの艦隊は世界一周を達成するなど大航海時代をむかえます。その後、16世紀はポルトガルとスペインにより新大陸とアジアを分割することとなります。ポルトガルとスペインの進出はキリスト教世界の拡大というレコンキスタの延長であり、カトリック布教と密接な関係がありました。大航海時代の影響で新大陸から大量の銀が流入して、インフレが起きて諸侯が没落し(価格革命といいます)、商業の中心が地中海から大西洋に移ったたため、北イタリアの諸都市が没落します(商業革命といいます)。17世紀にはオランダが、18世紀には英仏が海外進出していきます。

<学習のポイント!>
航海者と到達点をしっかり押さえよう!
スペインとポルトガルの進出の様子をしっかり確認!!

宗教改革
 教皇の免罪符(贖宥状)の発行に対してルターが「95カ条の論題」を発表したのを期に、宗教改革がおこり、ドイツでは農民戦争や諸侯同士の争いに発展し、オスマントルコの進出とともに神聖ローマ皇帝カール5世を悩ませました。スイスのカルヴァンは「予定説」を発表し、彼の教えはオランダ、イングランド、スコットランド、フランスに広まりました。オランダではゴイセンと呼ばれ、スペインのカトリック政策に対して独立戦争をおこします。独立後のオランダは17世紀に対外貿易で栄ました。フランスではユグノーとよばれユグノー戦争がおこしました。イングランドではピューリタンとよばれ後にピューリタン革命を起こします、スコットランドではプレスビテリアンと呼ばれます。ドイツではボヘミアの反乱を期に三十年戦争が起こりデンマーク、スウェーデン、フランスがこれに介入しドイツの国土は荒廃します。世界初の国際会議と言われる三十年戦争の講和会議のウェストファリア条約でドイツは領邦国家体制が確立します。イギリスではヘンリ−8世の離婚問題を期にイギリス国教会が成立します。

<学習のポイント!>
ルター・カルヴァンの宗教改革の過程を確認!!
カルヴァン派の広がりと影響を確認!!
イギリスの宗教革命の過程を確認!!
 
ヘンリ8世の離婚問題からエリザベス1世までをしっかり確認!!
・反宗教改革の内容を確認!!

絶対主義
 このころ、国王は没落した諸侯や騎士を宮廷の官僚として徴税権や免税などの特権を与え、強力な常備軍を持ち、大商人の保護と重商主義貿易の独占権などを引き替えに資金を獲得して、王権神授説を根拠に絶対主義時代を迎えました。

 16世紀は「太陽の没することなき帝国」と呼ばれたスペインのフェリペ2世やイギリスのエリザベス1世などの君主が現れました。16世紀の後半はオランダがスペインとの独立戦争を経て独立し、フランスではユグノー戦争をへてブルボン朝が成立します。ロシアでは15世紀末にモスクワ大公国がモンゴルから自立し、イヴァン4世の時にツァーリを自称しました。

 17世紀は絶対主義の完成期で、フランスでは、ルイ13世の時は宰相のリシュリューが活躍して、ルイ14世の時はマザランが補佐し、フロンドの乱をへて、マザラン死後にルイ14世が親政を開始し、コルベールのもと重商主義政策を行い、自然国境説を唱えて4度の侵略戦争を行います。ロシアではピョートル大帝が西欧化を進め、北方戦争でバルト海に進出し、シベリアなど東方へも進出していきました。

 18世紀になるとプロイセンのフリードリヒ2世、オーストリアのマレア=テレジア、ロシアのエカテェリーナ2世などの啓蒙専制君主が現れます。フリードリヒ2世とマレア=テレジアはオーストリア継承戦争や七年戦争で対立し、英仏はそれぞれを支援して対立し、アメリカではオーストリア継承戦争時にはジョージ王戦争、七年戦争ではフレンチ=インディアン戦争を戦いました。また、啓蒙専制君主たちは3度に分けてポーランドを分割しました。

<学習のポイント!>
各国・王毎に内容を確認
・三十年戦争、スペイン継承戦争などの近世の戦争を原因・経過・結果・各国の関係を押さえよう!!
 
特にウィリアム王戦争などの第二次英仏百年戦争のヨーロッパ以外の他地域での戦いとの関係と戦争後の領土変化などを確認!!

市民革命と産業革命
 イギリスでは17世紀から近代に入ります。エリザベス1世の死でステュアート朝ジェームズ1世が跡を継ぎ、絶対主義に基づく国王専制政治を行い、イギリス国教会を強制しました。次のチャールズ1世の時に議会との対立が表面化し、議会は「権利の請願」を提出しますが王は議会を閉鎖してしまいます。スコットランドでの内乱を期に、重税問題を話し合うために議会は開かれますが、王と議会は対立し続けて1642年にピューリタン革命がおこり、クロムウェルの活躍により議会側が勝利し、国王を処刑して共和制となり、クロムウェルが護国卿となりアイルランド征服や航海条例を出しました。クロムウェルの死後に、イギリスは王政復古によって、チャールズ2世が即位しますが、チャールズ2世とそれに続く、ジェームズ2世のカトリック信仰や反動政治により、再び議会と対立して、議会はオランダからジェームズ2世の娘メアリーとその夫オラニエ公ウィレムと迎えて、新たな王にする名誉革命をおこし、2人は「権利の章典」を発表し、イギリスは議会中心の政治へと変化し、イギリスでは議院内閣制が確立します。また18世紀から産業革命が始まります。

 北米でフランスとの植民地争奪に勝利したイギリスでは13州のアメリカ植民地に重税をかけたことから植民者が独立運動を展開し、独立戦争をへてアメリカ合衆国として独立します。

 フランスではルイ14世以来、財政が破綻して、財政再建のために特権階級への重税をはかりますが、特権階級は三部会の招集を求め、議決方法を巡り平民の第3身分と対立して、第3身分は国民議会を結成し、フランス革命が進んでいきます。周辺各国は革命が自国に波及するのを恐れて対仏大同盟を結成し革命に干渉します。18世紀末から武功をあげたナポレオンが次第に支持を集め、19世紀初めには帝位につきます。

<学習のポイント!>
イギリス市民革命
 ・王・支配者の順番を確認!!
 ・権利の宣言と権利の章典の違いは?
 ・
審査律・人身保護法の内容を確認!!
 ・自由党と保守党の前身はトーリー党とウィッグ党どっちだった?

アメリカ独立革命
 ・イギリスの北米の領土獲得の過程を押さえよう
 ・アメリカ独立戦争の過程を押さえよう
 ・連邦・反連邦主義の違いは?

・フランス革命
 ・過程をしっかりつかもう!!
  
財政難→三部会→国民議会→立法議会→国民公会→総裁政府→総統政府
 ・1791・93・95年の憲法改正の内容の違いは?
 ・封建土地所有の撤廃:有償→無償に
 ・対仏大同盟など、他国の反応をチェック!!
 ・ナポレオンの他国への進出の過程をチェック!!

・産業革命
 ・発明物と発明者をしっかり把握
 ・農業革命とは?
  
人口増加→穀物価格の値上がり→新しい農法(四圃制)→第二次囲い込み(合法的に!!)→土地を追われた人は都市に→労働者の出現)
 ・各国の産業革命の時期は?

ウィーン体制と国民国家の成立
 ナポレオンの退位後、ウィーンでナポレオン戦争で混乱したヨーロッパの秩序回復のため会議が開かれ、フランスのタレーラン、オーストリアのメッテルニヒが参加し、正統主義(フランス革命以前の近い形の体制)に基づくウィーン議定書が調印されました。このウィーン議定書と1815年に結ばれた四国同盟(英・普・墺・露、1818年に仏も加盟し五国同盟に)と神聖同盟(イギリス・ローマ教皇・オスマン=トルコ不参加)にもとづく体制をウィーン体制と言います。

 しかし、ナポレオン戦争によってフランス革命の自由主義(政治体制に対して個人の自由が優先するという考え)や国民主義(一つの民族が1つの国を作るという考え)がヨーロッパ各地に伝わり、ブルシェンシャフト、ガルボナリ党の革命、デカブリストの乱、スペイン立憲革命、ラテンアメリカ諸国の独立、ギリシア独立戦争がおこりラテンアメリカ諸国の独立ではアメリカのモンロー宣言や英のカニング外交によってヨ−ロッパからの干渉は阻止され、ギリシア独立戦争ではヨーロッパ各国は独立を支援しました。それ以外は弾圧されました。

 1830年にフランスでブルボン朝が倒れる七月革命がおきると、その影響で自由主義運動が激化し、ベルギーがオランダから独立、イタリアでガルボナリ党の革命、青年イタリア党結成、ポーランドの反乱などがおきますが、ガルボナリ党の革命・ポーランドの反乱は弾圧され、ポーランドではこれを機にロシアに併合されます。

 1848年にフランス二月革命がおきてると、その影響で、ベルリン・ウィーンの三月革命(メッテルニヒが亡命)、ローマ共和国の成立(仏の干渉)、東欧の「諸国民の春」(ハンガリーの独立運動(コッシュート)など、露が弾圧)、フランクフルト国民会議(小ドイツ主義)、などがおこり、ここで、事実上ウィーン体制は崩壊しました。

 その後、イタリアやドイツの統一がなされるなど国民国家が成立し、帝国主義時代へと突入していきます。

<学習のポイント!>
ウィーン議定書の内容を確認!
・自由主義や国民主義の運動を押さえよう!

・フランス7月・2月革命の経過と影響を確認!
・イギリスの国内も自由主義運動(自由貿易、参政権、アイルランド問題、労働者(チャーチスト運動))
・イタリアやドイツの統一の過程を押さえよう!
・ヨーロッパ各国史でも流れをみていこう!

4.東欧・ロシア

東欧史
 地域史と各国史の2つの視点で!!
 ・地域史:
民族移動、ビザンツ・神聖ローマ・オスマントルコ・列強の支配
 ・各国史:チェコ、ポーランド、ハンガリーなど王朝・国の変遷と服属と独立の過程を見ていこう!!
 ビザンツ史:帝の業績と領土の拡大・縮小の過程をまとめよう!!

ロシア史
 各王朝の変遷と王・皇帝の業績をまとめよう!!

5.合衆国・ラテンアメリカ

合衆国史
 ・北アメリカの植民地化・独立への過程をおさえ、
 ・独立後は大統領毎の功績と領土拡大の様子を見ていこう!!

ラテンアメリカ史
 ・古代文明とヨーロッパ人の征服、19世紀の独立とその後の4つの区分で流れをおさえよう!!

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