8現代史

現代史は教科書の記述のような横の流れと地域・各国史別にみていく縦の流れの2つの流れでみていく必要があり、まずはここでは、横の流れを中心に現代史のルートをおさえましょう!!

1.横の流れ

1.帝国主義時代(19世紀末〜1914年)

植民地争奪期

 欧米各国が産業革命を達成し、大量に重・軽工業製品が生産されるようになると、ヨーロッパの市場だけでは製品が売れ残るようになりました。また、資本主義の発展により銀行が企業経営に参加して、銀行資本と産業資本が結びつき巨額の金融資本が形成され、大企業がカルテル(企業間で談合)・トラスト(同種企業を合併・吸収)・コンツェルン(異種企業をグループ化)などの形で市場を独占するようになりました。そこで、欧米各国は新たな商品を売る市場・金融資本の投資先としてにアフリカ・アジアを植民地にして、自国の市場にしていきました。これが帝国主義です。欧米各国はアフリカ・アジアでの植民地をめぐる対立はあったものの、ヨーロッパ内では比較的平和な時代が続きました。また、産業革命により、労働者は劣悪な環境の中の生活をしいられ、貧困にあえいでいて、その生活改善や富の平等な分配を求めて社会主義が生まれて、その実現のために様々な運動が起こりました。アジアではオスマン帝国やムガル帝国、清朝などの大国が衰退していき、欧米列強の植民地となってきました。

列強の対立期

 20世紀に入るころ、植民地獲得等の対立から、ドイツ・オーストリアなどの同盟国とイギリス・フランス・ロシアなどの協商国の2つに分かれて、列強同士の対立が激化していきました。アジアでは、中国の辛亥革命、インドの国民会議派、西アジアでのイラン立憲革命、青年トルコ党の革命など、欧米列強の進出に対抗する民族運動や近代化が進められていました。

 

2.第一次世界大戦(1914年〜1918年)

 サライェヴォでオーストリア皇太子が暗殺されたことを契機にドイツ・オーストリア・トルコなどの同盟国とイギリス・フランス・ロシアなどの連合国が互いに宣戦し、第一次世界大戦が勃発し、仏独国境付近で戦線が膠着して、塹壕戦となり、戦線の打開のため毒ガスや戦車が開発・使用されました。戦争の長期化により、国民も戦争にかり出され総力戦となり、17年からドイツが海上で行った無差別潜水艦作戦をはじめたことより、アメリカが連合国側に参戦して、その後は連合軍優位で戦争は進みましだ。ロシアでは戦中に革命が起こり、社会主義政権が誕生した。1918年に同盟国は次々と降伏し、ドイツでも革命が起こり、成立したドイツ共和国は休戦条約を結んで、戦争は終わりました。アジアでは、オスマン帝国領でアラブ人がトルコからの独立を認めた英とのフサイン・マクマホン協定に基づき、トルコに対して反旗をひるがえし、インドでは、インド人による自治を引き替えにイギリスに協力しました。東アジアでは、日本が日英同盟を理由に山東省の独領を占領し、また、列強が手を出せないうちに勢力拡大をねらって、袁世凱政府に二十一箇条要求を突きつけました。

3.戦間期(1918年〜1938年)
国際協調期

 第一次大戦後、敗戦国はそれぞれ講和条約を結び、ドイツはヴェルサイユ条約で天文学的な賠償金と植民地の放棄・軍備の制限が決められ、また、東欧では民族自決の考えのもとポーランドなどが独立しました。再び大戦を起こさぬように国際協調が叫ばれ、国際連盟が創始され、ヨーロッパではヴェルサイユ体制、アジア・太平洋ではワシントン体制が成立しました。戦場とならなかったアメリカは「永遠の繁栄」をきわめ、ソ連も着実に社会主義政策を進めていました。ヨーロッパでは、アメリカの援助で復興が進み、ドイツで巨額の賠償金をかけられたことなどから急激なインフレが起こましたが、アメリカの援助や賠償金の減額・新紙幣発行などで危機を脱して、徐々に復興が進んでいました。また、再び世界大戦を起こさないように、国際連盟の設置や不戦条約の締結、軍縮会議の開催などが行われました。アジアでは民族自決は適応されず、独立や自治の約束は守られず、欧米の支配下に置かれ、インドの「非暴力非服従運動」や中国の五・四運動など反植民地運動が展開されました。

ファシズムの台頭

 1929年10月24日のアメリカウォール街の株暴落をきっかけにソ連をのぞく世界で恐慌が起こりました。その対策として、アメリカはニューディール政策を、英仏は広大な植民地を背景にブロック経済をおこない恐慌からの復興をめざしました。一方、植民地の少ない「持たざる国」の独・伊・日ではファシズムが台頭(伊は1920年代から)し、領土拡大をめざし近隣諸国に進出した。このファシズムに対して、英仏は戦争を回避するため、宥和政策を取って黙認し、ソ連は人民戦線戦術を取りました。

 

4.第二次世界大戦(1938年〜1945年)

 1939年のドイツとソ連のポーランド侵攻で、英仏はそれまでの宥和政策を捨て、ドイツに宣戦しました。戦争はドイツ有利に進み、40年にはドイツはパリを占領し、それを見たイタリアはドイツ側に参戦し、41年の独ソ戦が始まると日本も真珠湾を奇襲して太平洋戦争をはじめ、太平洋諸島・東南アジアに進出していきました。42年のミッドウェー海戦や43年のスターリングラードの戦いで日本やドイツなどの枢軸国側が敗れると戦局は逆転して、43年にイタリアが、45年6月にドイツが、そして8月に原爆投下後に日本が降伏して、第二次世界大戦は終わりました。

5.戦後(1945年以降)
冷戦期(45〜53)

 第二次大戦後、資本主義と共産主義というイデオロギーの違いからなど米・ソを中心とした東西二大勢力の対立が表面化し、両陣営とも軍事同盟や経済機構などでブロックを形成して、大規模な戦争を伴わない対立状態が続きました。アジアではインドネシアなどが独立戦争などを通じて独立し、インドはヒンドゥー・イスラーム教徒で分離して独立しました。西アジアではイスラエルの建国で中東戦争が始まり、中国では共産党政権が誕生しました。

雪解けの時代(54〜64)

 スターリンの死後、ジュネーブ四巨頭会談やソ連のスターリン批判と平和共存外交の展開で東西対立は緩和されていきました。しかし、それにより社会主義陣営内では中ソ論争や東欧諸国での暴動など内部対立が起こりました。また、東西どちらにも属さない第三勢力の結集し、周・ネール会談やバンドン会議などが開かれました。アフリカでは60年に17もの国々が独立しこの年は「アフリカの年」と呼ばれました。

多極化の時代(65〜79)

 ベルリンの壁構築やキューバ危機で再び東西対立が激化しましたが、アメリカはヴェトナム戦争の失敗やニクソンの金・ドル交換停止などで地位が低下し、ソ連も中ソ論争等で社会主義陣営内の対立が続き、ECなどの地域機構の成立など世界は多極化していきました。また、キューバ危機後、米ソは核兵器の削減に向けた行動を開始しました。

冷戦終結後の現在(79〜)

 ソ連のアフガン侵攻やレーガンの「強いアメリカ」政策で、再び東西は「新冷戦」と呼ばれるほどの緊張状態になりましたが、85年以降のゴルバチョフのペレストロイカや新思考外交により、東西の緊張は緩和され、89年の東欧革命で東欧諸国が民主化していく中、マルタでのゴルバチョフとブッシュの会談で冷戦の終結が宣言されました。1991年にはソ連は解体し、実質的にも東西対立がなくなり世界に平和が訪れるかに見えたが、ユーゴ紛争や湾岸戦争などの紛争が続き、南北の経済格差の問題、地球温暖化などの環境問題など解決すべき問題はまだ多く残っています。

2.勉強法

現代史は教科書の記述のような横の流れと地域・各国史別にみていく縦の流れの2つの流れでみていきましょう。 参考書や問題集はコラムで薦めたものの現代史の部分で十分です。教科書を読んでいて物足りない、もう少し詳しい解説がほしいという方は聖文社の『テーマで学ぶ近現代史の世界史60』を読むのもいいでしょう。

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