4.インド・東南アジア史(II.東南アジア史)

 いろんな王朝が出てきて混乱しそうだけど、まずは各国・地域毎で流れを確認し、地図でヨコの流れをつかんでいこう。(下では国名・王朝を赤、宗教を青、中国、ヨーロッパ勢力の動き緑で表示)
縦の流れの各国史を見ておきしょう。

(1)ミャンマー(イラワディ川下流域)
 a.
ピュー族(ビルマ系)
 b.
パガン朝(11世紀)←雲南地方からビルマ族南下
  ・
上座部仏教伝来
  ・
モンゴル人により滅亡(13世紀)
 c.
トゥングー朝(16世紀)
 d.
アラウンパヤ朝(18世紀)
  ・タイのアユタヤ朝を滅ぼす
  ・
ビルマ戦争インド帝国に併合
 現在のミャンマーのあるイラワディ川下流域では、ピュー族の国家がありましたが、雲南地方のビルマ族の南詔が滅亡するとビルマ族が南下し、11世紀中ごろにビルマ族のパガン朝がおこり、ここではセイロン島から上座部仏教が伝わりました。13世紀のモンゴル人によってパガン朝が滅ぼされると、しばらく分裂状態が続きますが、16世紀にはトゥングー朝が、18世紀中頃にはアラウンパヤ朝が成立し、アラウンパヤ朝はタイのアユタヤ朝を滅ぼしました。インドを植民地化したイギリスは、ビルマの西方進出による紛争がきっかけに、3回のビルマ戦争をおこし、アラウンパヤ朝を滅ぼしてビルマ全土をインド帝国に併合しました。

(2)タイ(メナム川流域)
 a.
ドヴァーラヴァティー(モン族)
 b.
スコータイ朝(←雲南からタイ族南下)
 c.
アユタヤ朝(14世紀)
  
山田長政活躍、アラウンパヤ朝により滅亡(18世紀)
 d.
チャクリ朝
  
ラーマ5世(チュラロンコーン大王)の近代化(19世紀後半)
  →植民地化をまぬがれる
 現在のタイがあるメナム川流域ではドヴァーラヴァティーなどのモン族の国が栄え、やがて,モンゴル人の雲南侵入によって南下したタイ族がスコータイ朝を建てました。14世紀にはアユタヤ朝が成立して,交易によって栄え,日本人の山田長政が活躍したことでも有名です。アユタヤ朝は18世紀にアラウンパヤ朝により滅ぼされましたが,すぐにアラウンパヤ朝を撃退して,ラーマ1世によりチャクリ朝が成立しました。その後、19世紀後半の国王ラーマ5世(チュラロンコーン大王)の近代化の努力や英仏の緩衝地帯とされたこともあって、植民地化をまぬがれました。

(3)カンボジア(メコン川下流域)
 a.
扶南(1世紀頃):オケオ港跡、海上貿易
 b.
真臘(カンボジア、6世紀):クメール族
  ・
アンコール朝(9世紀)
    アンコール=トム
    
アンコール=ワット(12世紀)
 c.
フランスの保護国1863年)
(4)インドシナ半島東南部
 a.
チャンパー(1世紀頃):海上貿易、林邑占城
  →15世紀に黎朝に滅ぼされる
 メコン川下流域のカンボジアでは、1世紀頃、扶南が成立して、オケオ港跡から漢の鏡やローマの金貨が出土したことから、海上貿易で栄えたことがうかがえます。6世紀頃からは、メコン川中流域にクメール族の真臘(カンボジア)が起こり、扶南をあわせて内陸平野部に国家をつくり、9世紀にアンコール朝が起こり、アンコール=トムを建設し、また12世紀には、初めはヒンドゥー教、のちに仏教の寺院となったアンコール=ワットがスールヤ=ヴァルマン2世により建てられました。1863年にカンボジアはフランスの保護国となりました。
 インドシナ半島東南部では、1世紀頃にチャンパーが建国され、海上貿易によって栄えた、チャンパーは15世紀に黎朝に滅ぼされるまで続き、中国では時代によって、林邑占城と呼ばれました。

(5)インドシナ半島北部
 a.
東山(ドンソン)文化(前3世紀):青銅・鉄器
 b.
中国の支配(約1千年の間)
  ・
秦の始皇帝や漢の武帝の遠征
  ・徴側徴弐(チュンチャックチュンニ)の乱(後漢)
 c.中国の支配から独立(10世紀、五代)
 d.
李朝(11世紀)
  ・ハノイを首都に
  ・国号を
大越
 e.
陳朝(13世紀)
  ・モンゴル人の侵入撃退
  ・
字哺(チュノム)普及
  ・内乱(14世紀)→
永楽帝が併合
 f.
黎朝(1428年):独立を回復→豪族同士の抗争(16世紀)
 g.
西山朝(18世紀後半)
 h.
阮朝(1802)
   ・
阮福英が仏人宣教師ピニョーの協力で建国
   ・
清に朝貢
 i.
フランスの進出
  
キリスト教徒迫害仏越戦争(1853、ナポレオン3世)
  →
サイゴン・コーチシナ獲得カンボジア保護国(63)
  →
ユエ条約(1883):ヴェトナム保護国
  →
清仏戦争天津条約インドシナ連邦(1887)
  →
ラオス併合(1893)
 インドシナ半島北部では、古来から中国文化の影響が強く、前3世紀には青銅・鉄器を使用した東山(ドンソン)文化が形成されます。その後、秦の始皇帝や漢の武帝の遠征後支配下に入り、後漢の時代には徴側徴弐(チュンチャックチュンニ)の乱が起こりますが、約1千年の間中国の支配が続きました。10世紀の五代の動乱期に中国の支配から離れ、11世紀はじめに統一王朝の李朝が成立し、ハノイを首都に定め、国号を大越とします。かわって13世紀には陳朝が成立し、3度のモンゴル人の侵入を防ぎ、また字哺(チュノム)といわれる国字も普及するなど文化が栄えますが、14世紀には内乱などが原因となって衰退しました。永楽帝はこの混乱に乗じて派兵し、この地方を中国に併合しますが、1428年に黎朝が建国されて独立を回復しました。16世紀以降には豪族同士の抗争がつづき、18世紀後半の西山党の乱などによって黎朝は力を失なって、1789年に滅び、西山朝が成立します。その後1802年に阮福英がフランス人宣教師ピニョーの協力を得てヴェトナムを統一ました。しかし、ピニョーの協力はフランスの進出を招き、キリスト教徒迫害を口実にフランス皇帝ナポレオン3世は1853年に仏越戦争を起こして、サイゴン条約でサイゴン・コーチシナを獲得し、63年にはカンボジアを保護国とし、さらに1883年のユエ条約ヴェトナムを保護国としました。この動きに対して阮朝の宗主国の清が反発して清仏戦争が起こり、この戦争で清は破れ、天津条約で清は阮朝の宗主権を失いました。1887年にフランスはハノイに総督府をおくインドシナ連邦が成立し、1893年ラオスもこれに加えられました。

(6)島嶼部
 a.
シュリーヴィジャヤ王国(7世紀):スマトラ東部
  ・
義浄来訪『南海寄帰内法伝』、大乗仏教
 b.
シャイレンドラ王朝(8世紀):ジャワ島
  ・
ボロブドゥール寺院
 c.
マジャパヒト王国(13世紀):東ジャワ
  ・モンゴルの侵攻を退けて建国、
ヒンドゥー教国
 d.
マラッカ王国(16世紀):スマトラ西南部
   
東南アジア初のイスラム教国
 
e.イスラム教国
  ・
マラタム王国(16〜18世紀、ジャワ)
  ・
アチェー王国(16〜19世紀、スマトラ)
 f.
ヨーロッパの進出
  ・
スペイン(16世紀後半)
    フィリピン
(拠点マニラ)→1898年アメリカ領に
  ・
オランダ(17世紀
    東インド会社を設立
(1602)
     
アジア貿易(拠点バタヴィア
     
アンボイナ事件(1623)
     
ジャワ・スマトラ・ボルネオ島
     
蘭領東インドを形成
    強制栽培制度
(ファン=デン=ボス)
  ・イギリス(18世紀)
   ・
海峡植民地(ペナン・シンガポール・マラッカ)
   ・
マライ連邦(1895)
 現在のマレーシア・インドネシア・フィリピンに当たる島嶼部では、7世紀にスマトラ東部にシュリーヴィジャヤ王国がおこり、海上交通の要衝マラッカ海峡をおさえて発展しました。この国を訪れた唐の僧義浄は著書『南海寄帰内法伝』で、大乗仏教がおこなわれていると記録しています。また、8世紀中葉から9世紀前半にかけて、シャイレンドラ王朝が、ジャワ島中部におこり、ボロブドゥールの仏教寺院を建立しました。13世紀に東ジャワではマジャパヒト王国がモンゴルの侵攻を退けて建国し、最後のヒンドゥー王国として栄え、16世紀には、スマトラ西南部に東南アジア初のイスラム教国としてマラッカ王国が成立し、国際貿易の中心として繁栄しました。
 大航海時代になりヨーロッパがこの地に進出するようになると、スペインは、16世紀後半にマゼランが発見した島々を当時のスペイン皇太子フェリペ(後のフェリペ2世)にちなんでフィリピンと名付け、ルソン島のマニラ港を根拠地としてアジア貿易を展開しました。1898年の米西戦争の結果、フィリピンはアメリカ領となります。17世紀にはオランダが1602年に東インド会社を設立し、バタヴィアを拠点にアジア貿易をおこなって、1623年には香辛料の丁字がとれるアンボイナ島でアンボイナ事件を契機にイギリス勢力を排除し、またポルトガルからマラッカを奪いました。18世紀以降マラタム王国などを滅ぼして、ジャワ・スマトラおよびボルネオ島の一部などを植民地にしてに蘭領東インドを形成し、総督ファン=デン=ボスによりコーヒー・タバコなどの商品作 物を作らせる強制栽培制度が取られました。またイギリスは、18世紀にペナンを獲得し、16世紀に植民地行政官ラッフルズシンガポールを回収し、マラッカ占領して海峡植民地を形成し、さらにマライ半島北ボルネオ島に支配を広げて、1895年にマライ連邦を形成しました。

次に地図でヨコの流れをつかんでいこう!!

 1・2世紀頃の「海の道」が栄えた頃にはメコン川下流域に扶南、半島東南部にチャンパーが建国され、海上貿易によって栄え、特に扶南のオケオ港跡からは漢の鏡やローマの金貨が出土しました。

 イスラム商人が活躍する7〜11世紀頃には、真臘、ピュー族の国家の後にはパガン朝が成立し、ドヴァーラヴァティーなど国が栄えます。ヴェトナムでは、11世紀に中国の支配下李朝が独立して大越国と称し、島嶼部では、7世紀にシュリーヴィジャヤ王国がおこり、唐の僧義浄が訪れます。8世紀中葉からシャイレンドラ王朝がおこり、ボロブドゥールの仏教寺院を建立しました。


 13世紀になるとモンゴル人が東南アジアにも侵入し、パガン朝が滅ぼされ、チャンパー真臘(カンボジア)は服属し、李朝の後に成立した陳朝は3度にわたってモンゴル軍を撃退し、字哺(チュノム)なる国字が陳朝時代に普及しました。東ジャワではマジャパヒトがモンゴルの侵攻を退けて建国し、最後のヒンドゥー王国として栄えます。また、モンゴル人の雲南侵入によって南下したタイ族がメナム川流域にスコータイ朝を建てました。


 14世紀以降の東南アジアは、15世紀には鄭和の艦隊が、16世紀にはスペイン・ポルトガルが、17世紀にはオランダが、18世紀には英仏が進出してきます。ビルマでは16世紀にはトゥングー朝、18世紀中頃にはアラウンパヤ朝が成立し、タイでは、スコータイ朝の後にアユタヤ朝、18世紀にチャクリ朝が成立します。北ヴェトナム地域では、陳朝の後をうけた黎朝がチャンパーを滅ぼしますが、豪族の争いが激化して、18世紀後半には西山朝が成立します。スマトラ西南部には、16世紀に東南アジア初のイスラム教国マラッカ王国が成立して、国際貿易の中心として繁栄します。
 16世紀からヨ−ロッパ人の進出しはじめ、19世紀末には、フランスがヴェトナムラオスカンボジア、イギリスがビルマ現マレーシア、オランダが現インドネシア、スペイン19世紀末からアメリカがフィリピンを支配して、タイ以外は植民地となります。

東南アジアでは宗教が結構出ます。王朝毎に宗教を調べておきましょう。
 
(1)大乗仏教:
   ヴェトナム(中国から)、シュリーヴィジャヤ(義浄から)
   シャイレーンドラ朝ボロブドゥール遺跡)
 (2)小乗仏教:ミャンマータイカンボジアの王朝
 (3)ヒンドゥー教:マジャパヒト王国
 (4)イスラム教:マラッカ(東南アジア初のイスラム教国)、マラタム、アチェ
 (5)キリスト教:フィリピン
現在の宗教分布も下の地図に書いておきます。現在の宗教分布でポイントはバリ島とミンダナオ島南部です。

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