同志社大学過去問(正誤問題)

1999

経済学部
 正誤問題(ア)から(ウ)については(あ)および(い)の正誤を判断し,(あ)(い)共に正しければ数字1,(あ)のみ正しければ数字2,(い)のみ正しければ数字3,(あ)(い)共に誤っておれば数字4を解答欄丙に記入せよ。(50点)

(ア)
(あ)イスラム教は偶像崇拝を否定した。
(い)イスラム教は三位一体説を唱えた。

(イ)
(あ)仏教はカーストを否定した。
(い)クシャーナ朝時代に大乗仏教の教理が形成されていった。

(ウ)
(あ)アリウス派は東方に伝えられ,中国では景教と呼ばれた。
(い)ネストリウス派はニケア公会議で異端とされた。

解答
ア.2 イ.1  ウ.4


商学部
 
次の各短文群[A]〜[K]の正誤を判定し,(a),(b)ともに正しい場合は数字1を,(a)のみ正しい場合は数字2を,(b)のみ正しい場合は数字3を,(a),(b)ともに誤りの場合は数字4を解答欄甲に記入せよ。

[A]
(a)フランク王国は843年のヴェルダン条約と870年のメルセン条約によって三分され,後年のドイツ・フランス・イタリアの基礎がつくられた。
(b)ヴェルダン・メルセン両条約によって生まれたイタリア王国は,文化的地位も高く,政治的にも東フランクを脅かした。

[B]
(a)中世末期のイタリアには,教皇領・ナポリ王国・サルデーニャ王国・フィレンツェ共和国・ミラノ公国などが分立していた。
(b)フィリップ2世と教皇の争いがもとで,ゲルフとギベリンの党争が激化した。

[C]
(a)ルネサンスの学者や芸術家は都市に住む教養人で,メディチ家やローマ教皇などの保護のもとに活動した。
(b)マキャヴェリの『君主論』は,当時のイタリアの分裂・抗争,列強の介入による覇権争いという時代状況の体験にもとづいていた。

[D]
(a)13世紀後半から14世紀前半に生きたイタリア人商人マルコ=ポーロは,大都にいき,元につかえた。
(b)モロッコ出身の大旅行家イブン=バットゥータも元をおとずれたが,彼は『三大陸周遊記』をあらわした。

[E]
(a)1861年,オーストリア領ヴェネツィアをのぞき,教皇領もふくめてイタリア王国が成立した。
(b)イタリア王国がヴェネツィアを併合したのは,普墺戦争のときである。

[F]
(a)独・墺・伊三国同盟は1882年に結ばれたが,イタリアは19世紀末には同盟から離脱している。
(b〕イタリアが三国同盟に参加した背景には,フランスがシチリアを保護国にしたことがあった。

[G]
(a)サルデーニャによるイタリア統一以来,イタリア政府は,教皇領を支配するローマ教皇と対立し続けた。
(b)ムッソリーニは,一党独裁の体制を確立する一方,1929年,ラテラン条約を結んで,教皇庁と和解した。

[H]
(a)ナチス=ドイツの要求をうけいれたミュンヘン会談に,イタリアも参加した。
(b)独伊三国防共協定は,ドイツ・イタリアの間で結ばれたベルリン=ローマ枢軸に,日本も参加することによって成立した。

[I]
(a)イタリアは,第一次世界大戦の戦勝国にもかかわらず,約束された領土をえられなかった。
(b)「ローマ進軍」に成功したムッソリーニは,国王の抵抗を押しきって,政権をにぎった。

[J] 
(a)1940年,日本はドイツ・イタリアに続いて,アメリカに宣戦布告した。
(b)ドイツがパリを占領した後,その勢いをみて,イタリアもドイツ側について参戦した。

[K] 
(a)敗北を目前としたイタリアでは,ムッソリーニが国王を解任し,君主制を廃止した。
(b)1945年,ベルリンが連合軍の手中にはいると,イタリアは無条件降伏した。

解答
A.2 B.2  C.1 D.1 E.3 F.4 G.3 H.2  I.2 J.4 K.4

 [A]〜[E]内の文章(1)(2)の下線部については正誤を判断し,(1)(2)とも正しい場合は数字1を,(1)のみ正しい場合には数字2を,(2)のみ正しい場合には数字3を,(1)(2)とも誤っている場合には数字4を解答欄丙に記入しなさい。

[A] ホスロー1世の時代に最盛期をむかえた(ササン)朝とビザンツ帝国は,6世紀の後半,長い戦争状態にあった。そのため,絹の道は両国の国境でとだえ,・・・そのため絹の道や海の道によって運ばれた商品は,いずれも(1)アラビア半島西部を経由するようになり,・・・イスラム教をとなえた。ムハンマドはこの町の(2)大商人の迫害をうけ,イスラム教の中心地をつくるため信者をひきいて(メディナ)に移住し,・・・

[B] イスラム教の経典『コーラン』は,・・・(1)アラビア語でしるされている。・・・その信仰は(2)たんに宗教的であるだけではなく,政治的・社会的・文化的活動のすべてにわたる信者の生活の体系でもある

[C] (ウマイヤ)朝は,・・・このイスラム大帝国においては,(1)アラブ人が支配者集団であり,多くの特権をほしいままにし,・・・国家財政の基礎である(ハラージュ)とよばれる地租と(ジズヤ)と呼ばれる人頭税は征服地の先住民だけに課せられたが,(2)彼らがイスラム教に改宗すれば免除された

[D] (アッバース)朝がひらかれ,(1)地方の支配者が力をにぎり,行政の地方分権化が進んだ。アラブ人の特権はしだいに失われ,イスラム教徒であれば,アラブ人以外でも人頭税が課せられず,他方アラブ人でも,征服地に土地を所有する場合には地租が課せられるようになった。(2)公用語はいぜんとしてアラビア語であったが,民族による差別は廃止され・・・

[E] 756年コルドバを首都とする後(ウマイヤ)朝をたてた。・・・,(1)北方の文化を積極的に吸収し,この地に高度なイスラム文明をうみだした。・・・(ファーティマ)朝は,(2)スンニー派のなかでもとくに過激な一派であった

解答
A.1 B.1 C.2 D.3 E.4


法学部
 
次の[A]〜[K]の各短文群について正誤を判定し,(a),(b)ともに正しい場合は数字1を,(a)のみ正しい場合は数字2を,(b)のみ正しい場合は数字3を,(a),(b)ともに誤りの場合は数字4を解答欄甲に記入せよ。また下線部に関する設問に対する解答を解答欄乙に記入せよ。(50点)

[A]
(a)台湾は古くから中国文化圏の内にあり,中国と密接な関係にあったが,17世紀にはオランダ人がここに貿易の拠点を築いた。
(b)清朝はオランダ人を駆逐するために,鄭成功を派遣した。

[B]
(a)20世紀初頭まで存続した李氏朝鮮は,14世紀末,(ア)高麗を倒した李成桂によってたてられた。
(b)李氏朝鮮の政治を動かしたのは,両班という特権身分の文班と武班の官僚であった。

[C]
(a)18世紀にはいると,李氏朝鮮では洪景来の乱と呼ばれる全捧準の指導する農民反乱がおこった。
(b)1860年代には欧米諸国は,朝鮮に対して開国を迫り,これに対し摂政大降院君は撰夷につとめた。

[D]
(a)日清戦争は朝鮮支配をめぐって勃発し,戦いは日本の勝利に終わり,天津条約が結ばれた。
(b)日本は日清戦争直後,江華島事件を機に朝鮮に迫り,不平等条約を結んだ。

[E]
(a)日韓協約によって,日本は朝鮮への干渉を強化したが,こうした干渉に対して朝鮮民衆は,反日義兵闘争を展開した。
(b)第一次世界大戦直後,日本は韓国併合をおこない,朝鮮総督府をおいた。

[F]
(a)朝鮮総督府による監視・統制に対して,三・一運動がおこったが,総督府はこれを軍隊をもって弾圧した。
(b)三・一運動後,日本は「文化政治」とよばれる同化政策をとった。

[G]
(a)すでに1943年,米・英・中首脳によるカイロ会談で,戦後,朝鮮を独立させることが了承されていた。
(b)戦後,朝鮮に進出した米,中両軍は,北緯38度線を境に分割占領した。

[H]
(a)大陸を追われて台湾にのがれた蒋介石は,ここで中華民国政府を維持した。
(b)中華民国は1912年に共和国として建国された。

[I]
(a)国際連合の発足当初,中国は常任理事国にはなっていなかった。
(b)中華人民共和国は1971年,国際連合の常任理事国になった。

[J]
(a)第二次世界大戦後ほどなく,南部に大韓民国,北部に朝鮮民主主義人民共和国がそれぞれ成立し,南北分立がはじまった。
(b)1950年,朝鮮民主主義人民共和国の軍隊が38度線を越えて侵攻すると,アメリカ軍を主体とする国連軍が韓国軍の支援のために出動した。

[K]
(a)1965年,韓国は日本と国交を結んだ。
(b)朝鮮民主主義人民共和国はいまだ国際連合に加盟していない。

解答
A.4 B.1 C.3 D.4 E.2 F.1 G.2 H.1 I.3 J.1 K.2

2000

文学部
 以下のA〜Lの各群において,二つの文章のそれぞれの下線部a,bの正誤を判定し,a,bともに正しい場合には数字1を,aのみ正しい場合には数字2を,bのみ正しい場合には数字3を,a,bともに誤りの場合には数字4を,解答欄に記入せよ。

[A群]
(1) ルイ16世は(a)コルベールを蔵相に任命して,財政改革をこころみた。
(2) 国王の改革に抵抗した一部の貴族は,(b)17世紀初頭以来ひらかれなかった三部会の召集を要求した。
[B群]
(1) 1789年に召集された三部会は,(a)議決方法をめぐって対立し,進行しなかった。
(2) 1789年,国民議会は封建的特権の廃止とともに,(b)王政の廃止を決定した。
[C群]
(1) 立法議会が召集されたが,穏和共和主義のジロンド派は,(a)立憲君主主義のフイヤン派と対立した。
(2) (b)イギリス首相ピットは第1回対仏大同盟をつくった。
[D群]
(1) ジャコバン政権は,1793年憲法を制定し,(a)封建的貢租の無償廃止を最終的に確定した。
(2) 恐怖政治のもとで,ジャコバン派に内部対立が生じ,(b)エベールは粛清された。
[E群]
(1) ナポレオンは革命暦ブリュメール18日,クーデタで総裁政府を倒し,(a)統領政府をたてた。
(2) 1805年の三帝会戦は,ナポレオン軍と(b)オーストリア・ロシアの連合との戦いである。
[F群]
(1) 1830年7月,パリに革命がおこり,(a)ルイ18世は追放された。
(2) 七月革命の影響のもと,ベルギーはオランダから独立し,(b)共和国を樹立した。
[G群]
(1) 1848年2月,パリで革命がおこると,国王ルイ=フィリップは(a)イギリスに亡命した
(2) 1848年,フランスでは選挙で社会主義者が大敗し,労働者の(b)六月暴動も鎮圧された。
[H群]
(1) ルイ=ナポレオンは(a)大統領選の敗北後,クーデタによって独裁権をにぎった。
(2) ナポレオン3世は,国民の人気をつなぐため,アジアにまで手をのばし,(b)アロー戦争やインドシナ出兵などをおこなった。
[I群]
(1) ナポレオン3世は,(a)メキシコ遠征の成功ののち,プロイセンとの戦争をおこない敗北した。
(2) 共和派のティエールを首班とする臨時政府は(b)ドイツに対する抗戦を続けたが,1871年2月,仮講和条約を結んだ。
[J群]
(1) ロシアは,(a)ドイツ・オーストリアに対抗するため,また工業化の資本をえるためにも,露仏同盟を結んだ。
(2) 第一次世界大戦の講和会議は(b)ウィーンでひらかれた。
[K群]
(1) フランスと(a)ベルギーは,ドイツが賠償支払を履行しないことを理由に,ルール地方を占領した。
(2) 1930年,ロンドン会議で補助艦について米・英・(b)の保有比率を決定した。
[L群]
(1) フランスは,ドイツによるチェコスロヴァキアの解体を見て,(a)ドイツに宣戦した
(2) ペタン政府はドイツに降伏し,(b)フランスの南半を統治した。

解答
A.3 B.2 C.1 D.1 E.1 F.4 G.1 H.3 I.4 J.2 K.2 L.3


法学部

 以下のA〜Lの各群において,二つの文章のそれぞれの下線部a,bの正誤を判定し,a,bともに正しい場合には数字1を,aのみ正しい場合には数字2を,bのみ正しい場合には数字3を,a,bともに誤りの場合には数字4を,解答欄甲に記入せよ。

[A群]
(1) ロシアの資本主義は1890年代に入ると(a)ドイツ資本の援助によって著しく発展した。
(2) 日清戦争後,ロシアはフランス・ドイツとともに日本に干渉し(b)遼東半島を清に返還させた。
[B群]
(1) 19世紀末,ドイツは宣教師殺害事件を口実に(a)広州湾を租借した。
(2) 19世紀末,イギリスは威海衛や(b)膠州湾を租借した。
[C群]
(1) アメリカ合衆国は米西戦争の勝利によって,(a)フィリピン・グアム島などを獲得した。
(2) 中国市場への関心を高めていたアメリカ合衆国は,(b)1899年に中国の領土保全を提唱した。
[D群]
(1) 中国の知識人層は日清戦争の敗北後,(a)洋務運動をおこした。
(2) (b)公羊学派の康有為は,光緒帝を動かして政治の革新を断行させた。
[E群]
(1) 清は,(a)天津条約によってキリスト教の布教を公認した。
(2) キリスト教の布教を公認した清では,(b)仇教運動と呼ばれる争いがあいついだ。
[F群]
(1) 義和団事件で敗れた清は,1901年に(a)北京議定書に調印した。
(2) 北京議定書に調印した清は,巨額の賠償金の支払とともに,(b)外国軍隊の北京駐屯などを認めた。
[G群]
(1) 日本は3次にわたる日韓協約によって韓国への干渉を強化し,統監の常駐,(a)韓国軍の解散などをおこなった。
(2) (b)反日義兵闘争を武力で弾圧した日本は1910年に韓国併合を実現した。
[H群]
(1) 戊戌の政変によって(a)憲法大綱が発せられた。
(2) 戊戌の政変によって(b)科挙制度の廃止が行われた。
[I群]
(1) 中国同盟会は,孫文によって(a)東京で組織された。
(2) 孫文の三民主義は,民族の独立,民権の伸張,(b)民心の安定をめざした。
[J群]
(1) 宣統帝溥儀は(a)1912年に退位した。
(2) 清朝最後の皇帝溥儀は,後年(b)満州国皇帝になった。
[K群]
(1) 張作霖は(a)柳条湖での鉄道爆破事件で死亡した。
(2) 蒋介石による北伐は,(b)中国共産党軍を制圧するための軍事行動であった。
[L群]
(1) 日本の軍部は,(a)1937年,盧溝橋事件を機に侵略を拡大した。
(2) 日本は,1940年に南京に(b)汪兆銘の親日政権を樹立した。

解答
A.3 B.4 C.2 D.3 E.3 F.1 G.1 H.4 I.2 J.1 K.4 L.1

商学部
 設問アからオに関しては(a),(b)の正誤を判断し,(a)のみ正しいときは数字の1,(b)のみ正しいときは数字の2,(a),(b)ともに正しいときは数字の3,(a),(b)ともに誤っているときは数字の4を解答欄に記入せよ。


(a)古代ギリシアの奴隷は異民族出身者に限られていた。
(b)古代ギリシアでは鉱山の採掘に数多くの奴隷が使用された。


(a)近代の初めにおきた商業革命とは貿易の中心が地中海から大西洋に移り,商業の規模が世界規模に拡大したことを指している。
(b)新大陸からの貴金属,特に銀の大量流入がヨーロッパの物価を2〜3倍に引き上げたが,この現象を価格革命と呼んでいる。


(a)第一次囲い込みは牧羊を目的としたもので,議会の承認を得て行われた。
(b)第二次囲い込みは農業生産の向上を目的とし,非合法的に進められた


(a)フランスでは1789年の封建的特権の廃止によって領主裁判権や貢租などの封建的遺制が無償廃止された。
(b)フランス人権宣言では私有財産権の不可侵性など近代市民社会の原理が主張された。


(a)世界経済恐慌から脱出するためにアメリカではフランクリン=ローズヴェルトがニューディール政策を実施した。
(b)ニューディール政策の中には農業調整法があり,それは農業生産の調整をはかって農産物価格を適切な水準にまで引き下げることを目的としていた。

解答
ア.2 イ.3 ウ.4 エ.2 オ.1


経済学部

 設問アからオに関しては(a),(b)の正誤を判断し,(a),(b)共に正しければ数字の1を,(a),(b)共に誤っていれば数字の2を,(a)のみ正しければ数字の3を,(b)のみ正しければ数字の4を解答欄乙に記入し,


(a)東南アジアの諸島部にはマライ=ポリネシア系の民族が住んでいる。
(b)東南アジアの半島部東部の沿岸にはモン=クメール系の民族が住んでいる。


(a)前3〜前1世紀頃ヴェトナム北部にはドンソン文化が形成されていた。
(b)ドンソン文化には中国文化の影響が見られる。


(a)インドの文化的影響のもと1世紀頃メコン川の下流域にチャンパーが建国された。
(b)6世紀頃メコン川中流域にドヴァーラヴァティーがおきた。


(a)フランスがヴェトナムを保護国としたのは1883年のサイゴン条約によってである。
(b)清仏戦争で敗れた清は1885年の天津条約でヴェトナムに対するフランスの保護権を承認した。


(a)18世紀半ばにオランダはアチェー王国を滅ぼしてジャワ島の大部分を領有した。
(b) オランダはジャワ島に強制栽培制度を導入し,砂糖キビ・コーヒー・藍(あい)を農民に栽培させた。

解答
ア.1 イ.1 ウ.2 エ.4 オ.4

2001

文学部
 問1から問3については短文A・Bの正誤を判断し,A・Bともに正しいときは1,Aのみが正しいときは2,Bのみが正しいときは3,A・Bともに誤っているときは4を解答欄に記入せよ。

問1
A.ローマで共和政が成立した頃ギリシアではソロンによる改革が進められた。
B.ローマが獲得した最初の属州はガリアであった。

問2
A.カエサルは前60年ポンペイウスやクラッススと密約し,第1回三頭政治を始めた。
B.カエサルはアクティウムの海戦でポンペイウスを破って独裁的な権力を手に入れた。

問3
A.コンスタンティヌス帝はキリスト教を国教として認めた。
B.コンスタンティヌス帝は都を東方のビザンティウムに移した。

解答
問1.4 問2.2 問3.3


法学部
 設問(A)〜(C)についてはそれぞれ短文aおよびbの正誤を判定し,abともに正しい場合は1,aのみ正しい場合は2,bのみ正しい場合は3,abともに誤っている場合は4,を解答欄に記入せよ。

(A)
a.インダス文明はパンジャーブ地方のハラッパーとシンド地方のモヘンジョ=ダロの二大遺跡に代表される。
b.インダス文明では一種の楔形文字が使用された。

(B)
a.アーリヤ人は基本的な身分の区別,即ちジャーティと,生まれを同じくする集団を意味するヴァルナをつくりあげた。
b.このジャーティとヴァルナが結びついていわゆるカースト制度が形成された。

(C)
a.ジャイナ教は八正道の実践を求めた。
b.仏教は苦行によってのみ救済されると説いた。

解答
A.2 B.3 C.4


経済学部
 設問(あ)から(え)についてはそれぞれ短文A・Bの正誤を判断し,A・Bともに正しいときは1,Aのみ正しいときは2,Bのみ正しいときは3,A・Bともに間違っているときは4,を解答欄に記入せよ。

(あ)
A.ミルトンは『天路歴程』を著した。
B.スウィフトは『ガリヴァー旅行記』を著した。

(い)
A.古典主義文学は文学の形式を重視し,調和と均整を目指した。
B.古典主義文学者にはゲーテやシラーなどがいる。

(う)
A.19世紀前半にはドイツを中心に個人の感情や想像力を重んじるロマン主義文学がさかんになった。
B.ロシアのロマン主義文学者にはゴーゴリやドストエフスキーなどがいる。

(え)
A.19世紀末フランスを中心に社会や現実を客観的にありのままに描こうとする自然主義文学がおこった。
B.自然主義文学者にはフランスのスタンダールやバルザックなどの文学者がいる。

解答
あ.3 い.1 う.2 え.4


商学部

 さらに[A]〜[E]内の文章(1)(2)の下線部については正誤を判断し,(1)(2)とも正しい場合は数字1を,(1)のみ正しい場合には数字2を,(2)のみ正しい場合には数字3を,(1)(2)とも誤っている場合には数字4を解答欄に記入しなさい。

[A] キリスト教は,(1)パウロをはじめとする使徒たちの活動や,とくにペテロによるユダヤ人以外の人びとへの伝道によってローマ帝国内に広まり,各地に信者の団体(教会)がうまれた。この間に,(2)キリストの言行をしるした『福音書』,初代使徒の活動をのべた『使徒行伝』(『使徒言行録』),使徒の書簡などを集めた『新訳聖書』が成立し,『旧訳聖書』とともにキリスト教の経典となった

[B] ローマ=カトリック教会は西ヨーロッパ全域に精神的権威を確立し,政治的にも諸侯とならぶ支配層を形成したが,(1)教会領には封建領主はいなかったから,農民は自由を享受することができた
 ・・・教皇と神聖ローマ皇帝とのあいだに叙任権闘争とよばれる衝突がおこり,・・・,(2)皇帝は,1077年,イタリアのカノッサで教皇に謝罪した

[C] イギリスにはウィクリフが,ベーメンにはフスがあらわれ,教会改革をとなえた。このような宗教界の混乱を収拾するために1414年に始まった( q )の公会議は,ローマの教皇を正統と認めて,教会大分裂をおわらせ,(1)しばらくはウィクリフやフスの教会革新運動を継ぐものは跡を絶った
 神学は,(2)アンセルムスの実在論やアベラールの唯名論をへて,実在論を中心に壮大な体系のスコラ学に発展・・・

[D] 1517年,マルティン=ルターは,(1)贖宥状の悪弊を攻撃し,教皇権そのものを否認する九十五カ条の論題を発表した。・・・(2)1555年,アウグスブルクの和議が成立し,領民はカトリック派とルター派のいずれかを採用できるという原則が確立した

[E] イギリスでは,・・・(1)女王メアリ1世はフランス王室と結託してカトリックを復活しようとくわだてた。・・・(2)教皇の至上権が否定され,公会議が決定権をにぎることになった

解答
A.3 B.3 C.3 D.4 E.4

 以下の[A]〜[L]それぞれの文章における短文(a)(b)の正誤を判定し,(a)(b)ともに正しい場合には数字1を,(a)のみ正しい場合には数字2を,(b)のみ正しい場合には数字3を,(a)(b)ともに誤りの場合には数字4を,解答欄に記入せよ。また設問に対する解答を解答欄に記入せよ。

[A]
(a)カルロス1世のときスペイン=ハプスブルク家がはじまったが,このカルロスは神聖ローマ皇帝(カール5世)に選ばれた。
(b)カール5世はルターを帝国議会によびだして,異端的な説の撤回を求めた。

[B]
(a)フェリペ2世はレパントの海戦で敗北した。
(b)フェリペ2世は,ポルトガルの王統がたえると,その領土をも継承した。

[C]
(a)フェリペ2世はネーデルラントにたいしてきびしい旧教化政策をとった。
(b)フェリペ2世がイギリス海軍に敗れ,大西洋の制海権を失ったのは,15世紀末のことであった。

[D]
(a)スペインのハプスブルク家が断絶したのは,17世紀中ごろのことであった。
(b)ユトレヒト条約は,スペイン・フランンスの合同を承認した。

[E]
(a)バイエルン公は,マリア=テレジアがハプスブルク家を継承するのに異議をとなえた。
(b)マリア=テレジアはシュレジエンの奪回のため,フランスと同盟した。

[F]
(a)ヨーゼフ2世はロシア・プロイセンとともにポーランドを分割した。
(b)ロシア・プロイセン・オーストリアのポーランド分割によって,ヤゲウォ朝は断絶した。

[G]
(a)ナポレオンはアウステルリッツの会戦で,オーストリア・プロイセンの連合軍を破った。
(b)オーストリアを破ったナポレオンは,ハプスブルク家の皇女と結婚した。

[H]
(a)ウィーン会議はメッテルニヒがとなえた正統主義を基本原則にかかげた。
(b)ウィーン会議の結果,オーストリアは北イタリアを獲得した。

[I]
(a)1871年,ドイツ帝国の創設とともに,オーストリア=ハンガリー帝国が発足した。
(b)ドイツ帝国における帝国議会では制限選挙制が採用された。

[J]
(a)ビスマルクはフランスにそなえて三帝同盟を結んだ。
(b)1887年,三帝同盟は,ドイツ・ロシア間の対立によって消滅した。

[K]
(a)1938年,ドイツはオーストリアを併合した。
(b)オーストリアは1955年,中立国として独立した。

[L]
(a)19世紀フランスの写実主義はフロベールによって確立された。
(b)20世紀アメリカでは,合理主義の流れを引くケインズのプラグマティズムが有力になった。

解答
A.1 B.3 C.2 D.4 E.1 F.2 G.3 H.3  I.4 J.2 K.1 L.2

2002

文学部

設問Aから設問Dについてはそれぞれ短文aおよびbの正誤を判定し,a・bともに正しい時には1,aのみ正しい時には2,bのみ正しい時には3,a・bともに誤っている時には4,を記入せよ。


a 中国最古の文字は甲骨文字である。
b 秦は隷書に書体を統一した。


a インダス文字は一種の象形文字である。
b インダス文字は現在解読されている。


a ハングルは高麗朝時代に考案された。
b タイ文字はスコータイ朝時代につくられた。


a インカ文明などアンデスの古代文明では象形文字が用いられた。
b マヤ文明などの中央アメリカの古代文明には文字はなかった。

解答
A.2 B.2 C.3 D.4


法学部
 以下のA〜Lの各群の二つの文章(a)(b)の正誤を判定し,(a)(b)ともに正しい場合は数字1を,(a)のみ正しい場合は数字2を,(b)のみ正しい場合は数字3を,(a)(b)ともに誤りの場合は数字4を,解答欄に記入せよ。また(ア)〜(エ)の設問に対する解答を記入せよ。

[A]
(a) イギリスは日英同盟を結んだが,それは,対中強硬策のためであった。
(b) 日英同盟によって,イギリスの「光栄ある孤立」は終わった。

[B]
(a) 20世紀初頭,イギリス・フランス・ロシアは,ドイツに対抗するためにロンドンで三国協商を結んだ。
(b) ビスマルクはイギリスに対抗するために三帝同盟を結んだ。

[C]
(a) 「未回収のイタリア」とは,オーストリア領にとどまっていた,国境地帯の小地域を指している。
(b) イタリアは「未回収のイタリア」をめぐってオーストリアと対立し,フランスに接近した。

[D]
(a) 1912年,バルカン同盟はトルコに宣戦した。
(b) 19世紀末,エチオピアに戦勝したイタリアは,トルコと戦ってリビアを奪った。

[E]
(a) 第一次世界大戦で,トルコ・セルビアは同盟国側に立って戦った。
(b) 第一次世界大戦で,イタリアは中立を保ったのちに,ロンドン秘密条約を結んで,連合国側に立って戦った。

[F]
(a) ドイツ軍はタンネンベルクの戦いでロシア軍を破った。
(b) ドイツ軍はヴェルダン要塞を攻撃し,これを陥落させた。

[G]
(a) 第一次世界大戦末期,ドイツは敗色濃厚となり,皇帝は連合軍と休戦条約を結んだ。
(b) ドイツは連合国側と講和を結んだが,国内の政治不安はおさまらず,1918年,キール軍港で水兵の反乱がおこった。
[H]
(a) 1917年,ロシアの三月革命(二月革命)によって帝政は崩壊した。
(b) 三月革命(二月革命)によって,ロシアには立憲民主党を主体とする臨時政府が成立した。

[I]
(a) 1917年,全ロシア=ソヴィエト会議で新政権の成立が宣言され,全交戦国に無賠償・無併合・民族自決の原則による講和が呼びかけられた。
(b) 十一月革命(十月革命)直後におこなわれた憲法制定議会選挙で,ボリシェヴィキが第一党になった。

[J]
(a) 国際連盟には,発足と同時に,ソ連とアメリカを除くヨーロッパ諸国のすべてが加盟した。
(b) 国際連盟は,ウィルソンの十四カ条の原則にしたがって創設された。

[K]
(a) 1921〜22年のロンドン会議で米・英・日の主力艦の保有トン数が制限された。
(b) 1930年のワシントン会議で米・英・日の補助艦の保有比率が決定された。

[L]
(a) イギリスでは第一次世界大戦後,第5回選挙法改正で,21歳以上のすべての男女に選挙権が認められた。
(b) イギリスでは1929年の選挙で,労働党がはじめて第1党になった。

解答
[A].3 [B].4 [C].1 [D].2 [E].3 [F].2 [G].4 [H].1 [I].2 [J].3 [K].4 [L].1

経済学部

短文aおよびbの正誤を判断し,a・bともに正しいときには1,aのみ正しいときには2,bのみ正しいときには3,a・bともに誤っているときには4を解答欄に記入せよ。

問ア
a.アッシリアは一時ミタンニに服属したことがある。
b.アッシリアは最初の世界帝国を建設した。

問イ 
a.ネブカドネザル2世は古バビロニア王国の最盛期をもたらした。
b.古バビロニア王国はカルデア人の王国である。

問ウ 
a.「エジプトはナイルのたまもの」という言葉はヘロドトスの言葉である。
b.古王国時代のエジプトの都は上エジプトのメンフィスであった。

問エ
a.ユダヤ教には他民族の宗教の影響は全くみられない。
b.ユダヤ教のパリサイ派は律法を極端に重視した。

問オ
a.カッシート人は南メソポタミアに侵入してバビロニアを支配した。
b.ヒッタイト人は古バビロニア王国をほろぼした。

問カ
a.エジプトの統一はメソポタミアよりはやかった。
b.アメンホテプ4世はアモン一神の信仰を強制した。

解答
問ア.1 問イ.4 問ウ.2 問エ.3 問オ.1 問カ.2


 以下のA〜Lの各群の二つの文章(a)(b)の正誤を判定し,(a)(b)ともに正しい場合は数字1を,(a)のみ正しい場合は数字2を,(b)のみ正しい場合には数字3を,(a)(b)ともに誤りの場合は数字4を,解答欄に記入せよ。また(ア)〜(オ)の設問に対する解答を解答欄に記入せよ。

[A]
(a) 朱元璋は帝位につくと,国号を明,年号を洪武と定めた。
(b) 明は,江南を根拠地として中国を統一したただ一つの王朝である。

[B]
(a) 里甲制とは明の軍制のことである。
(b) 魚鱗図冊とは,明の土地台帳のことである。

[C]
(a) 明では朱子学を官学とした。
(b) 六諭とは,明における官吏統制策の6カ条のことである。

[D]
(a) 16世紀末,ヌルハチは建国し,国号を清と定めた。
(b) 八旗とは清朝の軍事組織のことである。

[E]
(a) 呉三桂は明の復活のため清朝と戦った。
(b) ネルチンスク条約によって,モンゴル地方における露清の国境が確定された。

[F] 
(a) 清朝では中央要職の定員を満・漢同数とする政策も行われた。
(b) 清朝では文字の獄や禁書によって,思想統制がおこなわれた。

[G]
(a) 一条鞭法とは,財産税の一括納入制のことである。
(b) 地丁銀制とは,土地税とは別に人頭税を銀で納めさせる税制のことである。

[H]
(a) 『紅楼夢』は明代の庶民文化を代表している小説である。
(b) 陸九淵の学を発展させた王陽明は知行合一を説いた。

[I]
(a) 14世紀末,李成桂は高麗を倒して,李氏朝鮮をたてた。
(b) 李氏朝鮮の時代に訓民正音がつくられた。

[J]
(a) 19世紀半ばに,ロシアはアイグン条約を結び,黒竜江以北を領有した。
(b) 1880年代,ロシアはイリ条約によって,イリ地方とともに沿海州を獲得した。

[K] 
(a) 阮福映はヴェトナム全土を征服し,清から越南国王に封ぜられた。
(b) イギリスはミャンマー戦争でミャンマーを征服し,全土をインド帝国に併合した。

[L] 
(a) 公行とは,清朝から特権を認められたヨーロッパ人商人の組合のことである。
(b) 白蓮教徒の乱は,ヨーロッパ商人の横暴に対する抗議運動である。

解答
[A].1 [B].3 [C].2 [D].3 [E].4 [F].1 [G].4 [H].3 [I].1 [J].2 [K].1 [L].4

2003

文学部
 次の文章A〜Gを読み,イ,ロの下線部について正誤をそれぞれ判断し,イ,ロとも正しい場合には数字1を,イだけが正しい場合には数字2を,ロだけが正しい場合には数字3を,イ,ロとも誤っている場合には数字4を記入しなさい。


イ.ランケは,世界史を人間の進歩の歴史とみる啓蒙主義の歴史観に反対し,史料にもとづく厳密な実証を重んじる近代歴史学の基礎を築いた。
ロ.サヴィニーは,法の民族的特性を重視する歴史法学をとなえた


イ.弁証法哲学をとなえるヘーゲルにいたって完成したドイツ観念論の思想には,ロマン主義の影響がみられる
ロ.ヴォルテールは,『法の精神』においてイギリスの文物を紹介し,人間精神の進歩という見地から世界文化史を考察した


イ.イラン古代の神話・伝説・歴史を素材にして,フィルドゥシーは叙事詩『シャー=ナーメ(王の書)』を完成した
ロ.14世紀の代表的歴史家イブン=バットゥータは『世界史序説』(『歴史序説』)をあらわし,都市と遊牧民との交渉を中心に王朝興亡の歴史に法則性があることを論じた。


イ.ラシード=ウッデイーン(ラシード=アッデイーン)はイラン人の政治家,歴史家で,チャガタイ=ハン国のガザン=ハンに宰相として用いられ,『集史』をあらわした
ロ.ヘレニズム時代に,ポリビオス(ポリュビオス)は政体循環史観にもとづく『ローマ史』を残した


イ.前5世紀に,「歴史の父」とよばれるヘロドトスは,ポエニ戦争を扱った物語風の『歴史』をあらわした
ロ.ヘロドトスにすこし遅れて,トゥキディデス(トゥキュディデス)はペルシア戦争を扱った『歴史』をあらわし,政治史を確立した。


イ.カエサルはガリア征服の経過を『ガリア戦記』に記した
ロ.ストラボンは『ゲルマニア』をあらわして,ゲルマン人についての貴重な資料を残した。


イ.プリニウスは政治家の伝記『英雄伝』(『対比列伝』)をあらわした
ロ.アウグストゥスの時代に,リヴィウスは『ローマ建国史』(『ローマ史』)を書いた

解答
A.1 B.2 C.2 D.3 E.4 F.2 G.3

経済学部
 以下のAからJの語群の二つの文章(a)(b)の正誤をそれぞれ判断し,(a)(b)とも正しい場合は数字1を,(a)のみ正しい場合は数字2を,(b)のみ正しい場合には数字3を,(a)(b)ともに誤りの場合は数字4を,記入せよ。

[A] 
(a) ホメロス作とされる『イリアス』や『オデュッセイア』では,神々や英雄たちが描かれている。
(b) ヘシオドスは,『労働と日々』や『神統記』などを著した。

[B] 
(a) 演劇が盛んであったギリシアでは,アイスキュロス,ソフォクレス,アリストファネスの三大悲劇詩人が活躍した。
(b) エウリピデスは『女の平和』などの,世相を風刺する喜劇を著した。

[C] 
(a) タレースは,「人間は万物の尺度である」と唱えて,絶対的な真理の存在を否定した。
(b) ソクラテスは,絶対的真理の存在を主張し,知徳合一を説いたが,市民の誤解を受けて処刑された。

[D] 
(a) ポリス社会の変質期に現れたプラトンは,ポリスの理想的なあり方を追求して,イデア論・理想国家論を説いた。
(b) プラトンの弟子であるアリストテレスは,哲学をはじめとするギリシアの諸学問を集大成して,後世に大きな影響を与えた。

[E] 
(a) アテネのムセイオンは自然科学研究の中心となった。
(b) アレクサンドリアでは,医学で有名なヒッポクラテスらが活躍した。

[F] 
(a) ストア派の祖ゼノンは禁欲を説いた。
(b) エピクロス派の祖エピクロスは精神的快楽を説いた。

[G] 
(a) ヴェルギリウスは叙事詩『対比列伝』でローマの建国伝説をうたった。
(b) ストア派の実践哲学はローマの上流社会で流行し,セネカが活躍した。

[H] 
(a) 帝政期ローマの民衆のあいだでは,ミトラ教などの神秘的宗教が流行した。
(b) キリスト教は,2世紀後半にネロ帝によって迫害された。

[I] 
(a) キリスト教は,ミラノ勅令によってローマ帝国で公認された。
(b) ディオクレティアヌス帝はキリスト教をローマ帝国の国教とした。

[J] 
(a) キリスト教の一派は,前漢の時代に中国に伝わった。
(b) アタナシウスの説は,のちに三位一体説として確立した。

解答
[A]1 [B]4 [C]3 [D]1 [E]4  [F]1 [G]3 [H]2 [I]2 [J]3

法学部
 A〜Jについては短文(a)及び(b)の正誤をそれぞれ判断し,(a)のみ正しい時は1,(b)のみ正しい時は2,(a)(b)ともに正しい時は3,(a)(b)ともに誤っている時は4を記入せよ。

A 
(a) 最古の人類は約400万年前に現れた原人である。
(b) 原人は磨製石器を使用した。

B 
(a) 猿人が現れたのは更新世(洪積世)の中期(約50万年前)ころであった。
(b) 猿人はアジアにも広がっており,火を使用したものもいた。

C 
(a) 更新世(洪積世)の後期初めころ(約20万年前)に現れたのが旧人(旧人類)である。
(b) 旧人(旧人類)は打製石器を道具として用いた。

D 
(a) 更新世(洪積世)の末期(約4万〜1万年前)になると新人(現生人類)が出現する。
(b) 新人(現生人類)には周口店上洞人などがいる。

E 
(a) 死者の埋葬は新人(現生人類)に始まる。
(b) 新人(現生人類)は石器の他に骨角器もさかんに使用した。

F 
(a) 完新世(沖積世)初期(約1万年前〉のユーラシア北部ではオオカミを家畜化した犬を狩猟に使用するようになった。
(b) 完新世(沖積世)初期(約1万年前)のユーラシア南部の草原では他の地域にさきがけてヤギや羊,牛や豚を家畜化して飼養をおこない始めた。

G 
(a) 新石器時代に入ると洞窟絵画が描かれるようになる。
(b) 新石器時代に使用された石臼や石皿は細石器である。

H 
(a) 麦の栽培は西アジアに始まる。
(b) シリアにあるジャルモは中石器時代最古の遺跡である。

I 
(a) オリエントの大河流域では運河や水路を利用する乾地農法が始まった。
(b) 西アジアの初期農牧文化はヨーロッパやインドに伝わった。

J 
(a) 中国の彩陶文化は新石器文化に属する。
(b) 黄河文明では水稲を栽培した。

解答
A.4 B.4 C.3 D.3 E.2 F.1 G.4 H.1 I.2 J.1

商学部

 下記の(ア)〜(ク)については(a)及び(b)の短文の正誤をそれぞれ判断し,(a)および(b)が両方とも正しければ数字の1,(a)のみ正しければ数字の2,(b)のみ正しければ数字の3,(a)および(b)が両方とも誤っておれば数字の4を記入せよ。

(ア) 
(a) 遼は後晋から燕雲十六州を獲得した。
(b) 遼との和約(望厦条約)で宋は遼に毎年莫大な銀や絹などを贈る約束をした。

(イ) 
(a) ヴェルダン条約によってフランク王国は統一された。
(b) メルセン条約の結果,中部フランクは分割された。

(ウ) 
(a) 仏越戦争の結果,サイゴン条約が結ばれた。
(b) サイゴン条約でフランスはヴェトナムを保護国化した。

(エ) 
(a) 三十年戦争の結果,ユトレヒト条約が結ばれた。
(b) ユトレヒト条約においてイギリスはスペインからジブラルタルやミノルカ島を獲得した。

(オ) 
(a) サファヴィー朝はロシアとトルコマンチャーイ条約を結んだ。
(b) トルコマンチャーイ条約によってロシアはクリミア半島を獲得した。

(カ) 
(a) アメリカ独立戦争の結果,ジュネーヴ休戦協定が結ばれた。
(b) アメリカ独立戦争後,フランスはスペインとミズーリ協定を結びルイジアナを獲得した。

(キ) 
(a) 第一次世界大戦の結果,ドイツは連合国とヌイイ条約を結んだ。
(b) アメリカ大統領ハーディングはワシントン会議を提唱した。

(ク) 
(a) 1951年日本はサンフランシスコ講和条約を結んだ。
(b) 1972年日本は田中内閣のもとで日中平和友好条約を結んだ。

解答
ア.2 イ.3 ウ.2 エ.3 オ.4 カ.4 キ.3 ク.2

2004

政策学部
 (あ)〜(し)について短文(a)および(b)の正誤をそれぞれ判断し,(a)のみが正しければ数字の1,(b)のみが正しければ数字の2,(a)(b)ともに正しければ数字の3,(a)(b)ともに誤っておれば数字の4を記入せよ。

(あ) 
(a) メソポタミアの平原を貫流する大河のうち東側を流れるのがユーフラテス川である。
(b) メソポタミア南部では古来麦の栽培やヒツジの飼育などによる農業が行われてきた。

(い) 
(a) シュメール人はメソポタミア南部の地に都市文明を築いた。
(b) アッカド人はシリアやメソポタミアの地を統一した。

(う) 
(a) セム系のアラム人はメソポタミアの地にバビロン第1王朝を築いた。
(b) バビロン第1王朝はイラク北部のミタンニによって滅ぼされた。

(え) 
(a) アッシリア人は紀元前7世紀にエジプトをも支配する大帝国を形成した。
(b) アッシリア帝国滅亡後,メソポタミアの地を支配したのは新バビロニアであった。

(お) 
(a) イスラム教の教祖ムハンマドはアラビア半島を統一し,ササン朝をメソポタミアから駆逐した。
(b) シーア派を信奉するウマイヤ朝は都をシリアのダマスクスにおいた。

(か) 
(a) バグダードを都としたのはアッバース朝が最初であった。
(b) アッバース朝時代にアラブ人以外のイスラム教徒は政治・文化の両面に進出した。

(き) 
(a) ブワイフ朝はイラン系の王朝である。
(b) ブワイフ朝の君主はカリフよりスルタンの称号を与えられた。

(く) 
(a) アッバース朝を滅ぼしたモンゴル軍はシリアでアイユーブ朝に撃退された。
(b) イラクとイランを領有したモンゴル人はガザン=ハンの時にイスラム教に改宗した。

(け) 
(a) ティムールはオスマン帝国をアンカラの戦いで破った。
(b) ティムール帝国はトルコ系のウズベク族に滅ぼされた。

(こ) 
(a) イギリスは第一次世界大戦中にイラクなどの中東地域に関してフランスやロシアとケロッグ―ブリアン協定を結んだ。
(b) オスマン帝国を革命で倒したケマル=パシャはセーヴル条約で連合国へのイラクやシリアの割譲を約束させられた。

(さ) 
(a) 第二次世界大戦後,イラクはイギリスの委任統治から独立した。
(b) イラク革命で王政が倒され,イラクはバグダード条約機構から脱退した。

(し) 
(a) 隣国イランが革命で混乱している最中,イラクはイランとイラン-イラク戦争を始めた。
(b) イラクによるクウェート占領を原因として湾岸戦争が起きた。

解答
(あ).2 (い).3 (う).4 (え).3 (お).4 (か).3 (き).1 (く).2 (け).3 (こ).4 (さ).2 (し).2

経済学部
 
A〜Dについて(a)および(b)の正誤をそれぞれ判断し,(a)のみが正しければ数字の1を,(b)のみが正しければ数字の2を,(a)(b)ともに正しければ数字の3を,(a)(b)ともに誤りであれば数字の4を記入せよ。
A 
(a) 紀元前5世紀のアテナイ(アテネ)で活躍した悲劇作家にアイスキュロス・ソフォクレス・エウリピデスがいる。
(b) 『オイディプス』はソフォクレスの代表作である。

B 
(a) アテナイ(アテネ)の喜劇の作家としてアリストファネスやエラトステネス,シモニデスらがいる。
(b) アリストファネスには『女の平和』などの作品がある。

C 
(a) アテナイ(アテネ)のパルテノン神殿はイオニア式の柱を持つ神殿である。
(b) パルテノン神殿にまつられていたのはフェイディアスの「アテナ女神像」である。

D 
(a) アナクシマンドロスは絶対的真理の存在を否定し,「人間は万物の尺度」と言ったと伝えられている。
(b) ソクラテスは絶対的真理の存在を主張し,『国家論』などの作品を残した。

解答
A.3 B.2 C.2 D.4

法学部
 次のA〜Gを読み,それぞれの(a)(b)の正誤を判断し,(a)(b)とも正しい場合は数字1を,(a)のみ正しい場合は数字2を,(b)のみ正しい場合は数字3を,(a)(b)ともに誤りの場合は数字4を記入せよ。

A 
(a) 万有引力の法則を唱えたイギリスのニュートンは『プリンキピア』を著した。
(b) ドイツのケプラーは,天動説の立場に立って,惑星運行の法則を明らかにした。

B 
(a) 17世紀に活躍したイギリスの生理学者ハーヴェーは,血液循環説を唱えた。
(b) イギリスの医師ジェンナーは,18世紀末に結核の予防接種を考案した。

C 
(a) ジャコバン政権によって処刑されたラヴォワジエは,避雷針を発明した。
(b) 18世紀スウェーデンで活躍したリンネは,植物の分類学で功績を残した。

D 
(a) ともにドイツ人であるマイヤーとヘルムホルツにより「質量保存の法則」が発見された。
(b) イギリスのファラデーは電磁誘導の法則を発見し,電磁気学の基礎をすえた。

E 
(a) オーストリアのメンデルは遺伝の法則を明らかにした。
(b) イギリスのダーウィンは『生命の起源』を発表して,適者生存の進化論を唱えた。

F 
(a) フランスのパストゥールは,顕微鏡を使って結核菌,コレラ菌などの細菌を発見した。
(b) ドイツのコッホは狂犬病予防接種を考案した。

G 
(a) ドイツの物理学者レントゲンはX放射線を発見した。
(b) フランスで活躍したキュリー夫妻はラジウムを発見した。

解答
A.2 B.2 C.3 D.3 E.2 F.4 G.1

2005

神学部
 
次のa〜cに対する解答を解答欄に記入しなさい。
a 太平天国に関する次の1〜4のうち,誤りのあるものをひとつ選び,その番号を記しなさい。
1.アヘン戦争後,増税と銀価格の高騰により,貧農の生活は一段と苦しくなった。
2.宗教結社の上帝会は,徹底したキリスト教排斥をとなえた。
3.太平天国は天朝田畝制度によって,男女の区別なく土地を均等に配分しようとした。
4.「滅満興漢」を唱える太平天国は,清が強制していた辮髪をやめた。

b 辛亥革命に関する次の1〜4のうち,誤りのあるものをひとつ選び,その番号を記しなさい。
1.辛亥革命よりも前に,清朝は,科挙を廃止した。
2.孫文はハワイで華僑を中心にした結社興中会を組織した。
3.孫文を中心に清朝の打倒をめざす諸団体が北京にあつまり,中国同盟会を組織した。
4.孫文は,民族独立・民権伸張・民生安定の三民主義をとなえた。

c 中国共産党に関する次の1〜4の文章中で,下線部の人名に誤りのあるものをひとつ選び,その番号を記しなさい。
1.中国本土を掌握した共産党は1949年に,毛沢東を主席とする中華人民共和国の成立を宣言した。
2.「大躍進」運動が展開され,農村での人民公社設立が進められたが,国内の経済は混乱し,毛沢東にかわって劉少奇が国家主席になった。
3.毛沢東や林彪らは,劉少奇やトウ小平らを批判し,かれらを失脚させるため,プロレタリア文化大革命をよびかけた。
4.1980年代に入ると,周恩来の指導のもとで「改革・解放路線」が推進されたが,1989年に民主化を要求する学生などの民衆運動が高揚し,天安門事件では中国政府は武力でこれを鎮圧した。

解答
a.2 b.3 c.4

社会学部
 以下のAからJの語群の二つの文章(ア)(イ)の正誤をそれぞれ判定し,(ア)(イ)とも正しい場合は数字1を,(ア)のみ正しい場合は数字2を,(イ)のみ正しい場合は数字3を,(ア)(イ)とも誤りの場合は数字4を,解答欄に記入しなさい。また,1から5の設問に対する解答を解答欄に記入しなさい。

(A) 
(ア) ムアーウィヤ(ムアーウィア)は,661年ダマスクス(ダマスカス)を首都とするウマイヤ朝をひらいた。
(イ) ウマイヤ朝は8世紀の初め,イベリア半島に進出し,西ゴート王国をほろぼした。

(B) 
(ア) 8世紀半ば,アッバース朝の成立に先立って,後ウマイヤ朝がイベリア半島に成立した。
(イ) 中央アジアに成立したサーマーン朝は,イラン系イスラム王朝で,カラ=ハン朝にほろぼされた。

(C) 
(ア) 10世紀半ばにイラン人の軍事政権ブワイフ朝がバグダード(バグダッド)に入城した。
(イ) セルジューク朝の始祖トゥグリル=ベクは,アッバース朝を倒した。

(D) 
(ア) アイユーブ朝の創始者サラディン(サラーフ=アッディーン)は,十字軍を破ってイェルサレムを奪回した。
(イ) マムルーク軍団は,13世紀半ばにアイユーブ朝を倒して,エジプト・シリアにマムルーク朝をひらいた。

(E) 
(ア) 北西アフリカでは,先住民ベルベル人のイスラム教への改宗が進み,11世紀にはモロッコにムラービト朝が成立した。
(イ) ムラービト朝は,サハラ以南の西アフリカに進出し,マリ王国をほろぼした。

(F) 
(ア) アフガニスタンに建設されたガズナ(ガズニ)朝は,9世紀末からインド侵入をくりかえした。
(イ) 13世紀初めゴール朝の将軍フラグは,デリーにインド最初のイスラム王朝を創始した。

(G) 
(ア) ティムールの子孫であるバーブルは,16世紀にデリーに入城してムガル朝を創始した。
(イ) ムガル建築を代表するタージ=マハルは,アクバルによってたてられた。

(H) 
(ア) 教皇インノケンティウス3世は,1095年クレルモン教会会議で聖地回復の聖戦をおこすことを決議した。
(イ) イスラム教徒の支配下にあったイベリア半島では,キリスト教徒が北方から国土回復運動(レコンキスタ)をおこし,14世紀末までにイスラム教徒の最後の拠点グラナダを占領した。

(I) 
(ア) イスラムの代表的な学者で旅行家のイブン=ハルドゥーンは,14世紀に『三大陸周遊記』をあらわした。
(イ) イブン=ルシュド(アヴェロエス)は,アリストテレス哲学の注釈書や医学書をあらわし,ヨーロッパの学問に大きな影響を与えた。

(J) 
(ア) サファヴィー朝のアッバース1世は,ポルトガル勢力をホルムズ島から追いはらった。
(イ) ムスタファ=ケマル(のちのケマル=アタテュルク)は,スルタン制とカリフ制を廃止し,アンカラを首都とする共和国を樹立した。

解答
(A)1 (B)3 (C)2 (D)1 (E)2 (F)4 (G)2 (H)4 (I)3 (J)2


 また文章[ア],[イ],[ウ]それぞれの中にある下線部(ア),(イ)の正誤を判断し,(ア),(イ)ともに正しい場合には数字1を,(ア)のみ正しい場合には数字2を,(イ)のみ正しい場合には数字3を,(ア),(イ)ともに誤っている場合には数字4を解答欄に記入しなさい。

[ア] イギリスでノルマン王朝ができると,(ア)イギリスの封建社会は,しだいに地方分権的性格を強くしていった。1215年,王にマグナ=カルタを認めさせた。ジョン王を継いだ王も失政が多かったので,貴族の指導者は反国王派の諸侯をひきいて国王を破ったのち,(イ)1295年,高位聖職者・大貴族の集会に州や都市の代表を加えて国政を協議した

[イ] フランス王フィリップ4世は,聖職者への課税について教皇と争い,(ア)1302年,聖職者・貴族・平民の代表者を集めて三部会をひらき,その支持のもとに教皇をおさえて王権を強化した。フスは,教会大分裂に終止符をうった公会議によって異端とされ,(イ)フスはフス派の人々に助けられ火刑を免れ,その後10年以上も戦った

[ウ] フランスでカペー朝の直系が絶えると,イギリス国王エドワード3世は,フランスの王位継承権を主張してフランスに侵入し,1339年百年戦争が始まった。当時(ア)フランドルはイギリスの羊毛の輸出先であったので,経済的にもイギリスと利害が衝突していた。百年戦争後のイギリスでは,王位を争うばら戦争と呼ばれる内乱がつづき,これに巻きこまれた諸侯は衰退した。(イ)この内乱を収めたヘンリ8世はテューダー朝を開いた

解答
[ア]4 [イ]2 [ウ]2

法学部
 次の古代ローマ史に関する短文ア〜セを読み,それぞれのaおよびbの正誤を判定し,a・b共に正しい場合には数字の1,a・b共に間違っている場合には数字の2,aのみ正しい場合には数字の3,bのみ正しい場合には数字の4を記入し,設問(あ)〜(い)についてはそれぞれの設問の指示に従って最も適切な答えを記入せよ。(50点)

a.ローマはイタリア中部のテムズ川沿いに発展した町である。
b.ローマはラテン人が建国した都市国家である。


a.ローマが建国された頃,イタリア北部に高度な都市文化を誇っていたのはエトルリア人であった。
b.ローマがエトルリア系の王によって支配されていた頃,南イタリアにはギリシア人の植民市が栄えていた。


a.ローマで共和政が成立した頃,ギリシアではソロンが民主政の改革を行っていた。
b.ローマ最初の成文法はドラコンの法で,ギリシアの法律の影響を受けている。


a.貴族と平民の対立の中で,平民の権利を擁護するために護民官の職が設けられた。
b.ホルテンシウスは平民会の決議が元老院の承認を必要とするという法案を提案した。


a.リキニウス=セクスティウス法により,最高の政務官であるコンスル(執政官)を平民身分からも選出するようになった。
b.リキニウス=セクスティウス法は公有地占有に関する制限を撤廃した。


a.ローマがイタリア半島を統一すると,北アフリカにあったギリシア人系のカルタゴと三次に及ぶポエニ戦争が勃発した。
b.ポエニ戦争で特にローマを苦しめたのは,イタリアに侵攻したハンニバルであった。


a.ラティフンディアと呼ばれる大農場の発展は,軍隊を支えていた中小農民層を没落させた。
b.ラティフンディアでは奴隷を使用してオリーブやぶどうなどを栽培した。


a.グラックス兄弟はコンスル(執政官)となって改革を推進しようとした。
b.グラックス兄弟の改革は,貧民に土地を分配して自作農を再建するのに成功した。


a.平民派のマリウスは閥族派のスラと争った。
b.カエサルはクラッスス,ポンペイウスと手を組んで元老院をおさえ,三頭政治をはじめた。


a.カエサルの部下であったアントニウスはオクタヴィアヌスと争い,ザマの海戦で敗れた。
b.オクタヴィアヌスは元老院からドミヌスの尊称を贈られ,ドミナートゥスをはじめた。


a.ローマ帝国の領土が最大規模に達したのはトラヤヌス帝の時であった。
b.五賢帝最後の皇帝ネルヴァの死とともに「ローマの平和」の時代は終焉を迎えた。


a.紀元後4世紀になると,ローマは軍人皇帝時代という混乱した時代を迎えた。
b.軍人皇帝時代のローマを苦しめたのはゲルマン人やササン朝ペルシアであった。


a.イエスはネロ帝時代の人で,ユダヤの人々は彼をキリストとみなすようになった。
b.キリスト教をユダヤ人以外の人々の間に積極的に伝道したのはパウロであった。


a.帝政中期以降になると奴隷制が衰退し,コロヌス制が発展していった。
b.コロヌスとは移動の自由などを禁じられた隷属的性格の小作人のことである。

解答
ア.4 イ.4 ウ.2 エ.3 オ.3 カ.4 キ.1 ク.2 ケ.1 コ.2 サ.3 セ.4 ス.4 セ.1


2006

神学部
次の(ス)〜(タ)の問いに対する解答を選び,その番号を解答欄に記入しなさい。
(ス) 「主従関係」の由来として誤っているものを一つ選びなさい。
1.ゲルマン社会の従士制
2.ギリシアの奴隷制
3.ローマ末期以来の恩貸地制

(セ) 下線部(1)について述べた次の文章の中から正しいものを一つ選びなさい。
1.一人の臣下が同時に複数の主君と関係を結ぶこともあった。
2.臣下には独立的権限が一切与えられておらず,主君が全ての実権を握っていた。
3.主君が保護を怠った場合,臣下はまず直接国王に訴え,主従関係の解消を申請しなければならなかった。

(ソ) 「自治都市」について誤っているものを一つ選びなさい。
1.国王や諸侯から特許状を与えられて,独自の行政・司法組織をもった。
2.自治都市が同盟関係を結ぶことによって生まれたハンザ同盟は,イタリアのフィレンツェを盟主として団結した。
3.イギリスやフランスの諸都市はイタリアやドイツに比べて自治権が比較的弱く,のちに王権の伸張とともに国王の行政の中心地として繁栄していった。

(タ) 下線部(2)のような一揆に該当しないものを一つ選びなさい。
1.ワット=タイラーの乱 2.ジャクリーの乱
3.ベーメン反乱

解答
(ス)2 (セ)1 (ソ)2 (タ)3

政策学部
(1)〜(3)それぞれの文のうち,(a)(b)とも正しければ数字1,(a)のみが正しければ数字2,(b)のみが正しければ数字3,(a)(b)ともに誤っていれば数字4を,解答欄に記入しなさい。
(1) 
(a) 七年戦争の際に,プロイセンは外交政策を改め,フランスとの敵対を解消して,同盟関係を結んだ。
(b) オーストリア継承戦争の結果,プロイセンがオーストリアから獲得したシュレジエンは,七年戦争後にオーストリアに返還された。

(2) 
(a) フランスのラ=ファイエットは,独立戦争に従軍した。
(b) ロシアのエカチェリーナ2世は武装中立同盟を提唱した。

(3) 
(a) イギリス首相ピットは,フランスを包囲する大同盟をつくった。
(b) ナポレオン軍に破れたオーストリアでは,シュタインらによる改革が進められた。

解答
(1)4 (2)1 (3)2

文学部
(イ)〜(ホ)のそれぞれに関して下記の文章(1)(2)の正誤を判断し,(1)(2)ともに正しい場合には数字1を,(1)のみ正しい場合には数字2を,(2)のみ正しい場合には数字3を,(1)(2)ともに誤っている場合には数字4を解答欄に記入しなさい。

(イ) 
(1) シュメール人が楔形文字をはじめた。
(2) 楔形文字の使用は,シュメール人独特のもので,他の民族では用いられなかった。

(ロ) 
(1) この法典は刑法,民法,商法など多方面の内容を含んでいる。
(2) この法典の復讐法の規定は,被害者の身分によって刑罰がちがっていた。

(ハ) 
(1) メソポタミアは多神教の世界であったが,民族が交替すると最高神も変わった。
(2) メソポタミアでは,すでに太陽暦のみが用いられ,閏(うるう)年が設けられていた。

(ニ) 
(1) ゾロアスター教の教えは,ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教などの一神教にも影響をあたえた。
(2) ゾロアスター教は唐代の中国に伝わって景教とよばれた。

(ホ) 
(1) キリスト教の教父アウグスティヌスは青年時代に一時この宗教の影響を受けた。
(2) アルビジョワ派などのキリスト教異端派の一部にも,この宗教の影響が認められる。

解答
(イ)2 (ロ)1 (ハ)2 (ニ)2 (ホ)1

問1 下線部(1)に関連して,この時代に生まれた思想や学派についての次の記述のうち,誤っているものを1つ選び,解答欄に番号で答えなさい。
1.孔子は,社会の秩序の基礎を,家族道徳の実践によって完成される「仁」においた。
2.孔子の思想は,孟子や筍子などの春秋時代末期の儒家たちによってうけつがれた。
3.道家は,無為自然を説き,「道」に合一することを求めた。
4.墨子の学派は,血縁をこえた無差別の愛を説いた。

問2 下線部(2)に関連して,始皇帝の中央集権化に関係のないものを,次の選択肢から1つ選んで,解答欄に番号で答えなさい。
1.民間の兵器を没収した。
2.全国の標準となるべき文字を制定した。
3.焚書・坑儒による思想統制をおこなった。
4.均輸・平準などの経済統¬制策を実施した。

問3 下線部(3)に関連して,次の選択肢から,この時期の漢の対外戦争の記述として誤っているものを1つ選び,解答欄にその番号を記しなさい。
1.北方では鮮卑を攻撃して,オルドスや甘粛にも勢力をのばした。
2.西域の大宛(フェルガナ)にまで遠征した。
3.東北地方では衛氏朝鮮をほろぼして楽浪などの4郡をおいた。
4.南方では南越をほろぼして,ベトナム北部を支配下に入れた。

解答
問1.2 問2.4 問3.1

社会学部
(イ)〜(ニ)の文章群(1)(2)の正誤を判断し,(1)(2)ともに正しい場合には数字1を,(1)のみ正しい場合には数字2を,(2)のみ正しい場合には数字3を,(1)(2)ともに誤っている場合には数字4を解答欄に記入しなさい。
(イ) 
(1) 神聖ローマ皇帝がハプスブルク家から出されるようになったのは16世紀前半である。
(2) カルロス1世が退位すると,ハプスブルク家はスペイン系とオーストリア系にわかれた。

(ロ) 
(1) オスマン朝は,15世紀半ば,ビザンツ帝国を滅ぼしてコンスタンティノープルに都を移した。
(2) オスマン朝は,サファヴィー朝から,メッカ,メディナの二聖都の保護者の地位を継承した。

(ハ) 
(1) フェリペ2世はイングランド女王メアリー2世と結婚した。
(2) フェリペ2世は激しい戦争をへてポルトガルの王位を獲得した。

(ニ) 
(1) ナントの勅令以後,ユグノーの要求によって,宰相リシュリューは三部会を開いた。
(2) ナントの勅令の廃止によって,ユグノーの商工業者が国外に亡命し,フランスの国内産業の発展は阻害された。

解答
(イ)3 (ロ)2 (ハ)4 (ニ)3

問2 インド大反乱に関する次の記述のうち,誤っているものを一つ選び,解答欄にその番号を記入しなさい。
1.大反乱の直接のきっかけは新式銃の弾薬包にあった。
2.大反乱にはインド人傭兵だけでなく,没落した旧支配層や,土地を失った農民など広範な階層の人々が加わった。
3.大反乱は南インド全域におよんだ。
4.大反乱後,イギリスは東インド会社を解散し,直接的な統治にのりだした。

問3 太平天国に関する次の記述のうち,誤っているものを一つ選び,解答欄にその番号を記入しなさい。
1.太平天国は,土地の均分などの改革政策を打ち出した。
2.太平天国は,「滅満興漢」をかかげて清朝の打倒をめざした。
3.上帝会は,儒教を攻撃し,民間信仰の神がみを偶像として破壊した。
4.太平天国をほろぼしたことにより,清朝中央の官僚がふたたび勢力をのばすことになった。

問4 次の記述のうち,誤っているものを一つ選び,解答欄にその番号を記入しなさい。
1.フィリピンではアメリカの統治後も,ムスリムを中心に各地で反乱が続いた。
2.ドンズー運動は,日本とフランス両当局の弾圧によって挫折した。
3.アラービー(ウラービー,オラービー)を指導者とする抵抗運動は,「エジプト人のためのエジプト」をスローガンとしていた。
4.イランの立憲革命に対して,イギリス・フランスが介入し,武力によって議会を閉鎖した。

解答
問2.3 問3.4 問4.4

inserted by FC2 system