4.欧米社会経済史

1.欧米社会経済史

[1] 次の文を読み,空欄( あ )〜( そ )に適する語句を下の語群から選び,その数字を解答欄に記入し,設問(A)〜(E)に関しては設問の指示にしたがって答えを解答欄に記入しせよ。[同志社・改題]

 人類が農耕・牧畜の生産経済に移行したのは( あ )時代においてであった。西アジアにおいては( い )年頃に麦の栽培と山羊(やぎ)や羊(ひつじ)などの飼養が始められた。初期の農法は肥料をほどこさない( う )農法であったので,ひんぱんに耕地をかえる必要があった。
 やがて農業は気温が高く極度に雨の少ないメソポタミア南部に伝播してくる。この地域での農業は運河や用水路をつくり,大河の水を耕作地に導いて利用する( え )農業であった。この地に多く形成された大村落は( お )年頃には都市に発展していった。
 古代ギリシア・ローマでは麦や豆類の耕作とならんで,( か )などの果樹の栽培が盛んに行われた。市民の多くは農業に従事したが,同時に数多くの奴隷が農業にたずさわったのである。ギリシア以上に奴隷制が発展したのはローマであった。イタリアやシシリー島などでは奴隷制農業にたつ( き )が発達した。
 中世ヨーロッパでは荘園が広く点在し,そこに住む農民の多くは農奴で,領主に対して労働地代である( く )や生産物地代である( け )の義務を負った。しかし中世後半になると農業生産が高まり,商業や都市が発達するにつれて荘園制は崩れ始め,地代は生産物や( こ )にきりかえられ,農奴解放の動きが進行した。
 近代に入ると商人や金融業者が手工業生産者に原料や道具などを前貸しして注文する( さ )や,資本家が労働者を仕事場に集め分業の方式で生産を行う( し )が発展していった。
 18世紀後半のイギリスにおいて資本の蓄積と労働力の創出,広大な海外市場の確保,自然科学と技術の進歩などを背景に世界に先駆けて産業革命がおきた。人力や水力などにかわって蒸気力と石炭を動力源として利用するようになったことが産業革命(第一次産業革命)の特徴である。1769年に( す )が従来からあった蒸気ポンプを改良し,やがて優秀な蒸気機関をつくった。その蒸気機関は( せ )が発明した力織機などの動力として利用されるようになり,物の生産が飛躍的に増大した。
 19世紀の後半に入ると企業の集中・独占が進行し,欧米諸国は帝国主義段階に入っていく。巨大な資本を背景に銀行資本と産業資本が融合して形成された( そ )資本の支配が目立ち,欧米列強諸国は資本の投下地や原料などの供給地を求めて海外進出をおこなった。

〔語群〕
(1)アークライト (2)エンコミエンダ (3)オリーブやブドウ (4)カートライト (5)貨幣 (6)灌漑 (7)乾地 (8)機械制工場 (9)旧石器 (10)金融 (11)クロンプトン (12)貢納 (13)採取 (14)地主 (15)商業 (16)神権 (17)新石器 (18)青銅器 (19)問屋制 (20)ナツメヤシ (21)ハーグリーヴズ (22)賦役 (23)マニュファクチュア (24)ラティフンディウム(ラティフンディア) (25)略奪 (26)労働 (27)ワット (28)前7000 (29)前5000 (30)前3000

(A) スパルタではヘロットの反乱に備えて厳しい軍国主義的生活規定が生まれたが,それは制定者とされる人物の名前をつけて「〜の制」と呼ばれている。制定者とされる人物の名前を記せ。
(B) 百年戦争中フランスでおきた農民反乱を何と呼んでいるか。
(C) 絶対主義時代を中心とする近代ヨーロッパで各国が富国強兵のためにとった経済政策を何と呼んでいるか。
(D) 18世紀初めに蒸気ポンプを発明したのは誰か。
(E) 世界経済恐慌のきっかけとなったニューヨークの株式市場での株価の大暴落は何年に生じたか。

[2] 次の文章は中世ヨーロッパに関するものである。(1)〜(5)の各文章を読み,空欄(1〜5)に最も適切な語句を下記の語群から選び,その記号を解答欄にマークしなさい。また下線部(1)〜(5)に関する設問(1〜5)の答えを解答欄に記入しなさい。[明治・改題]

(1) 10〜12世紀に荘園内の農業生産が増大し,人口も増加してきた中世ヨーロッパでは,各地に余剰生産物や特産品を交換する小規模な市が開かれるようになり,次第に地域経済圏が形成されていった。他方,十字軍遠征の影響でイタリアの海港都市は,東方貿易をのばし,地中海東部から主に香辛料・絹織物などを輸入し,ヨーロッパの銀や[ 1 ]を輸出して地中海商業圏を形成し,また北ヨーロッパでも毛織物,海産物,穀物など生活必需品を中心に取り引きする北海・バルト海商業圏が形成され,こうして2大商業圏が生まれた。(1)この2大商業圏は大規模な定期市で結ばれ,各地の地域経済圏を含んだ経済活動を一段と進展させ,中世都市の誕生を促した。
(2) 中世都市は,旧ローマ都市,国王・諸侯の居住地や修道院に隣接する交通の便利な市場の所在地に誕生するのであるが,そこには貿易に従事した商人や手工業者が定住し,彼らは自分たちの経済的利益を守るためにギルドを結成した。やがて彼らは経済活動への制限や賦役などの封建的束縛からの自由を望むようになり,領主の支配からの独立につとめた。商業活動の拡大につれて領主が課税を重くすると,都市の人びとはそれに抵抗し,北イタリアをはじめとする各地の都市は,諸侯を抑えようとする皇帝や王から[ 2 ]を得て,つぎつぎに自治権を獲得し,自治都市になった。これらの都市は,経済的利益や自治を諸侯から守るために都市同盟を結んだ。特に(2)ハンザ同盟には数十の都市が加盟し,繁栄を誇った。他方,イギリスやフランスの都市は自治権が弱く,王権の保護を受けて発展した。
(3) 商業の発達によって貨幣経済が進展すると,都市では次第に富裕になってきた小商人や手工業者は職種別の同職ギルドを結成して商人ギルドから分離した。当初,都市の内部では,商人や手工業者を含む商人ギルドが生まれたのであるが,市政やギルドの実際の運営は大商人が独占していた。これに不満をもった小商人や手工業者は,同職ギルドによって大商人と争いながら次第に市政への参加を実現していった。(3)この闘争は特にドイツの諸都市で著しかった。同職ギルドの会員は,徒弟を養い職人を使用して生業に従事する親方に限られ,親方・職人・徒弟の間には厳重な身分関係が保たれていた。同職ギルドは,会員間では平等を尊ぶ一方で,自由な競争を禁じ,さまざまな規制を設けて,生産の統制や技術の保持をはかり,市場を独占した。
(4) 14世紀40年代に発生した(4)ペストの流行は,ヨーロッパ全土に波及し,全人口の3分の1から5分の1を奪ったと言われているが,領主は,これによる労働力不足に対処するために,地代を軽減したり,保有地の売買や賃貸の自由を認めたり,農民の土地保有権を強化した。このような動きは「封建制の危機」と称されている。イギリスでは,その結果,領主は地主化し,農民も地代を納めるだけで身分的にはほとんど自由な[ 3 ]になった。しかし他方では,この「封建制の危機」に直面して,農民への経済的支配を強化するために賦役や生産物地代の復活をはかった領主もいた。これは一般に封建反動と称される。これに対して農民たちは一揆をもって対応した。
(5) 1358年,北フランスで戦争による荒廃と重税に苦しめられた農民と手工業者たちが,ギヨーム=カールを指導者にして蜂起し,領主の城館を襲撃したジャックリーの乱を起こし,イギリスでは1381年に,ワット=タイラーの乱が起こった。[ 4 ]の費用確保のために導入された人頭税に農民が反発し,ワット=タイラーや説教僧の[ 5 ]に率いられた農民は,一時ロンドンを占領し,国王リチャード2世に農奴制の廃止を要求した。この一揆は指導者たちが処刑されて瓦解するが,それ以後農奴制は衰退の一路をたどることになる。

〔語群〕
A.シモン=ド=モンフォール B.ジェントリ C.知行地  D.大憲章 E.染 料 F.勅 令 G.ヨーマン H.臣従礼 I.コモンズ J.綿織物 K.百年戦争 L.ジャコバン M.ジョン=ケイ N.陶磁器 O.ばら戦争 P.ブルゴーニュ公家 Q.ジョン=ボール R.特許状 S.高級毛織物 T.ジャック=クール

設問1 2大商業圏を結ぶ交通の要衝をなしたフランス東北部の地方はどこか。

設問2 ハンザ同盟の盟主であった都市の名は何というか。

設問3 この闘争を何というか。

設問4 この時のペストの状況については『デカメロン』が生々しく伝えている。この著者は誰か。


[3] つぎの文を読み,後の問いに答えよ。[法政・改題]

 [ A ]の定期市は,12〜3世紀に,北海貿易と東方貿易とを繋ぐ役割を果して繁栄した。東方貿易によって台頭した北イタリア諸都市の商人は河川を利用しながら水路で,あるいは,アルプスを超えて陸路で,商品を運んだ。[ A ]地方の繁栄は,為政者の政策的配慮とともに,こうした陸路,水路の結節点として有利な位置を占めたことによるところが大きかったと言えよう。
 14世紀以降,[ A ]の定期市は衰退の道をたどった。衰退の一因は,この地域の政治情勢の変化にあったと言えよう。1339年に始まる英仏間の長期にわたる抗争の影響も大であったと言わねばなるまい。北海貿易を担った諸都市の商人が結成した商人団体が,強力な都市同盟へと変貌を遂げたことも無関係ではなかった。ハンザ同盟と呼ばれるこの組織の盟主と目されたのは,12世紀にザクセン公ハインリッヒが建設した,比較的新しい都市であったが,この都市には,古い歴史を持つライン中流の都市[ イ ]の都市法に淵源を持つとされる独自の都市法を置くことが許された。ちなみに[ イ ]は,ローマ皇帝クラウディウスの建設した植民市にその名の由来を持つといわれ,カール大帝が昇格させた大司教座の所在地でもあった。他方,東方貿易の主要な担い手は,はじめはヴェネツィア,ジェノヴァ,それに[ B ]の三者であったが,トスカナに位置する[ B ]は,早くも13世紀後半にはジェノヴァに敗れて,衰退の道を歩みはじめ,これに代わって,同じトスカナ地方のフィレンツェが台頭する。これら北イタリア諸都市の商人のうちには,14世紀頃から武装ガレー船によって海路直接フランドルやイギリスに赴く者も現われた。このこともまた,[ A ]の定期市衰退の一因に数えられよう。
 [ A ]に代わって国際的市場の中心となったのはフランドルの中心都市のひとつであり,毛織物産業によって繁栄した[ C ]であったが,その[ C ]もやがて衰えを見せ,国際的市場の中心は,15世紀半ば以降急速に発展した[ ロ ]に移った。ロンドン,ベルゲン,ノヴゴロドの商館とならぶ,ハンザの四大商館のひとつが置かれていた[ C ]は,北ドイツ諸都市と強い結びつきをもっていたが,これと対照的に[ ロ ]は,アウグスブルク,ニュルンベルク,ウルムなどの南ドイツ諸都市と密接な連係を保ち,これらの諸
都市に繁栄をもたらした。[ C ]衰退の背景のひとつとしては,原毛輸出国であったイギリスが,14世紀中頃から安価な未仕上げ毛織物生産を発展させはじめ,15世紀後半には毛織物輸出国となっていったことが挙げられよう。
 しかし,繁栄を誇った[ ロ ]も,やがて別の都市に国際的市場の中心の座を譲ることとなった。[ ロ ]は,ネーデルラントの一都市であるが,そのネーデルラントは,16世紀後半にはスペイン領となっていたので,[ ロ ]は,16世紀後半から17世紀初頭にかけて戦われた独立戦争によって,深刻な打撃を受けたためであった。15世紀末頃[ ロ ]に支店を開いた[ D ]家は,金融業および鉱山業によって財を成し,宗教改革期のヨーロッパの政治情勢にも少なからぬ影響をおよぼした,アウグスブルクの大財閥であったが,この大財閥も16世紀後半以降,没落の道を歩んだ。

問1 文中の空欄[ A ]〜[ D ]にもっともよくあてはまる語を解答欄に記せ。

問2 文中の下線部に関連して,15世紀末から17世紀半ばにかけて,イギリスの農村部で起り,『ユートピア』という著作の中で,「羊が人間を食い殺す」と批判された事態をなんと呼ぶか。解答欄に記せ。

問3 文中の空欄[ イ ],[ ロ ]にもっともよくあてはまる語を下記の語群の中から選び,その記号を解答欄にマークせよ。
a.アムステルダム b.ガン c.リューベック d.ブレーメン e.ロッテルダム f.ケルン g.ハンブルク h.アントワープ



[4] 次の文章を読んで,下の設問に答えなさい。[明治・改題]

 絶対王政の時代に,主に行われた経済政策は( 1 )と呼ばれる。これは,初期の( 2 )の段階とその後の( 3 )の段階に大きく分けられる。前者は16世紀のスペインやポルトガルにみられ,海外での植民地経営を通じて金銀を直接に獲得し蓄積する商業政策であるのに対して,後者は17世紀以降イギリス・フランスで典型的に行われたもので,一国の貿易が輸出超過になればその財政も豊かになるという考えにもとづき,(a)国内産業の保護・育成をはかった政策である。
 ところで各国の産業が発展してくるにつれ,専制的な統制や束縛から離れて,自由な経済活動を要求する傾向が強くなり,18世紀中頃になると,国家が商工業に介入する上記のような政策は厳しく批判された。ここに『経済表』の著者( あ )やその弟子( い )による( 4 )という経済思想が,フランスにあらわれた。彼らは,流通よりも生産を重要視し,剰余価値説を説き,最初の資本制生産の理論体系を生み出した。また商業や工業に人為的な保護や干渉を加えることは自然法に反するとして,( 5 )を主張した。
 この主張は,イギリスの( う )によってうけつがれたが,彼はその(b)著作の中で,富の源泉を労働一般に求め,個人の自由な経済活動による生産力の向上と自由貿易による国富の増大を説いた。この学説はその後,『経済学および課税の原理』を著した( え )や『人口論』の著者( お )らによって継承され,古典派経済学と称される経済学体系を形成し,後に(c)『資本論』の著者マルクスやエンゲルスにも影響を与えた。またドイツの( か )は後進国の立場から,自由貿易政策に代わって,国家の関税政策による国内市場の保護・育成を主張し,( 6 )経済学をとなえた。
 20世紀になると,イギリスの経済学者( き )は,(d)世界恐慌を前に,資本主義の修正を求め,近代経済学の新しい理論をうちたて,その後の資本主義国家の経済政策に指針を与えた。

設問1 上の文章( あ )から( き )までの空欄に最も適した言葉を下の語群から選び,その記号をマークしなさい。
A.ロック B.カロンヌ C.トインビー D.マックス=ヴェーバー E.ティルゴー F.アダム=スミス G.マルサス H.ヴォルテール I.リカード J.リスト K.ケインズ L.ジェームズ M.ボーダン N.ルソー O.ベンサム P.ランケ Q.ディドロ R.ケネー S.グレシャム  T.ジョン=ステュアート=ミル U.コント

設問2 上の文章の( 1 )から( 6 )までの空欄に最も適した言葉を下の語群から選び,その記号をマークしなさい。
A.国家 B.自然主義 C.国民 D.功利主義 E.新歴史学派 F.実証主義 G.重商主義 H.重金主義 I.保護貿易主義 J.帝国主義 K.国家社会主義 L.重農主義 M.自由放任主義 N.社会主義 O.資本主義 P.近代理論 Q.貿易差額主義 R.民族

設問3 上記の下線部(a),(b),(c),(d)に関して,次の問に答えなさい。
(a) フランスの絶対王政下でこの政策を積極的に行った代表的政治家の名前を解答欄に記入しなさい。
(b) この書物名を解答欄に記入しなさい。
(c) 主に人道主義的立場から理想社会の実現をはかったマルクス以前の社会主義を,マルクスあるいはエンゲルスは何と称したか,その名前を解答欄に記入しなさい。
(d) 世界恐慌によって財政危機に陥ったドイツを救済するため,アメリカは戦債・賠償支払いの一年間停止の猶予を与えた。この政策の名前を解答欄に記入しなさい。


 

[5] 次の文章を読んで下記の設問に答えなさい。[慶応・改題]

 18世紀後半のイギリスでは,「( ア )から( イ )へ」という技術革新をきっかけとして,繊維工業から産業革命が始まった。産業革命以前のイギリスでは,( a )資本の担い手である織物商が手工業者や農民に原料や( ア )を前貸ししてその製品を独占的に買い上げるような( b )工業から,( c )資本家が賃金労働者を雇用して組織的に生産させるような( d )工業へと発展がみられていた。このような生産形態は,(1)「神の見えざる手」を主張した( e )がその代表的著書の中でピン製造工場の例を用いて示したように,( ウ )による生産性向上をもたらし,また,それにともなう工程の専門化・単純化を通じて( イ )利用の下地を作った。そして産業革命を迎えると,実際に( イ )や動力が発明され,利用されることになる。
 最初に本格的な( イ )の発明や利用がみられたのは,産業革命以前に( d )工業の主体だった( f )工業ではなく,( g )工業においてであった。ジョン=ケイの飛び稜は,もともと( f )工業で発明されたものだったが,その後( g )工業に転用されてから普及し,( h )工程での大幅な生産性向上をもたらした。その結果,それより前の工程での生産性向上が求められ,原理的には今でも使われている,( i )工程での(2)クロンプトンの発明などがみられ,普及した。さらに,今度は逆に,( i )工程での生産性向上に刺激されて,( h )工程での(3)カートライトの発明がもたらされることになる。
 このように,イギリスの産業革命は( f )工業ではなく( g )工業から始まった。その理由は,長い伝統をもつ( f )工業では( イ )導入に対して既存労働者の抵抗が強かったこと,( g )工業では原料を( j )などから安価に輸入できたこと,( g )の方が扱いやすかったこと,などにあるといわれる。しかし,より根本的な理由は,( g )工業では( イ )の発明や利用によって大きな利潤が見込まれたことにある。
 18世紀になって( j )産の( g )製品がもたらされるようになると,丈夫で安くまた染色が容易な( g )製品の需要が急増した。イギリス( g )工業は,急増する需要に対応するためにも,また,( j )産の安価な輸入織物へ対抗するためにも,積極的な( イ )導入によって大量生産体制を確立する必要があったのである。さらに,( g )製品の需要増大に危機感を抱いた( f )工業者の反対で輸入が制限されるようになると,市民革命によって経済活動の自由が保障されるようになっていたイギリスでは,(4)原料を輸入して自国で( g )製品を生産しようとする動きが活発化した。その結果,(5)イギリス産の( g )製品は国内のみならず世界市場にも大量に出回ることになり,もともとは輸出国であった( j )も19世紀には輸入国に転じて「( g )織匠の骨は( j )の原野を白色に染めている」と描写されるほどであった。
 ( イ )の導入に必要な( k )は,( f )工業の発展や(6)( l )的政策の積極的展開を通じて準備されていた。他方,( m )は,(7)第2次囲い込みやイングランド東部( エ )地方で始まった農法などを内容とする農業革命によってもたらされた。
こうして,( g )工業では( イ )を利用した資本主義的経営が一般化することになる。だが,その一方で,産業革命は,資本家階級と労働者階級との対立,長時間労働など労働条件の悪化,都市人口の急増にともなう生活環境の悪化など,(8)様々な問題をもたらしたことも忘れてはならないであろう

〔設問〕
[A] 空欄( ア )〜( エ )を埋めるもっとも適切な語句を所定の解答欄に記入しなさい。

[B] 空欄( a )〜( m )を埋めるもっとも適切な語句を以下の語群から選び,その番号を所定の解答欄に記入しなさい。
〔語群〕
11.麻織物 12.アダム=スミス 13.インド 14.オーストラリア 15.絹織物 16.毛織物 17.工場制機械 18.工場制手 19.産業 20.資本 21.自由主義 22.重商主義 23.重農主義 24.熟練労働者 25.商業 26.織布 27.飼料 28.清 29.石炭・鉄 30.石油 31.染色 32.選毛 33.問屋制家内 34.独占 35.土地 36.農業 37.紡錘 38.紡績 39.マルサス 41.ヨーマン 42.リカード 43.労働力

[C] 下線部(1)〜(8)に対応する以下の設問の答を所定の解答欄に記入しなさい。
(1) この著書について,1.書名を何というか。2.何年に出版されたか。

(2) この発明の元となった2つの機械の名称を,古い順に答えなさい。

(3) この機械の動力は何か。

(4) 19世紀になると,1793年のある発明をきっかけとして当初の輸入国とは別の国からの原材料輸入が増えるが,1.それを発明したのはだれか。2.発明した機械を何とよぶか。

(5) イングランド北西部において,
1.この製品の中心的産地となった都市の名前を答えなさい。
2.18世紀に奴隷貿易の拠点として発展し,産業革命期にはこの製品の原材料輸入・完成品輸出の拠点となった都市の名前を答えなさい。

(6) このような政策について,
1.その考え方を批判した,フランスの宮廷医でもあった経済学者の名前を答えなさい。
2.その学者が著した1758年の書物の名前を答えなさい。

(7) 第2次囲い込みに関するつぎの記述のうち,誤っているものを選びなさい。
ア.土地を失い都市に流入した農民は,工業のための労働力の源となった。
イ.主として,穀物生産のために行われた。
ウ.農業革命と呼ばれる変化が生じ,大規模農場経営が増加した。
エ.農耕地を牧場に転換することを目的に,非合法に行われた。

(8)労働者やその家族の状況を調査して『イギリスにおける労働者階級の状態』を書いた学者はだれか。

[6] 次に示す表は、両大戦間における主要諸国の工業産の変化である(1913年を100とした指数)。表中のA〜E5つの国の動向について,簡単に解説した文章も参考にしながら,以下の設問〔1〕〜〔12〕に答えよ。立命館・改題

世界 A B C D E
1913 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0
1920 93.2 122.2 59.0 92.6 176.0 12.8
1921 81.1 98.O 74.7 55.1 167.1 23.3
1922 99.5 125.8 81.8 73.5 197.9 28.9
1923 104.5 141.4 55.4 79.1 206.4 35.4
1924 111.O 133.2 81.8 87.8 223.3 47.5
1925 120.7 148.0 94.9 86.3 221.8 70.2
1926 126.5 156.1 90.9 78.8 264.9 100.3
1927 134.5 154.5 122.1 96.0 270.0 114.5
1928 141.8 162.8 118.3 95.1 300.2 143.5
1929 153.3 180.8 117.3 100.3 324.0 181.4
1930 137.5 148.0 101.6 91.3 294.9 235.5
1931 122.5 121.6 85.1 82.4 288.1 293.9
1932 108.4 93.7 70.2 82.5 309.1 336.1
1933 121.7 111.8 79.4 88.3 360.7 363.2
1934 136.4 121.6 101.8 100.2 413.5 437.0
1935 154.5 140.3 116.7 107.9 457.8 535.7
1936 178.1 171.0 127.5 119.1 483.9 693.3
1937 195.8 185.8 138.1 127.8 551.0 772.2

(F.ヒルガート『工業化の世界史』より)


〔解説〕
 Aの国は,第一次世界大戦中に世界最大の資本輸出国となり,大量生産と大量販売のシステムを定着させ,電気・自動車・建設産業などの部門の成長をうながし,国民総生産が大きく成長した。
 Bの国は,帝政が倒れて共和制が成立した後,共産党系組織による革命の試みもあったが失敗,1919年には主権在民をうたった〔1〕民主的憲法が制定された。しかし同国が直面した危機は,支払い能力をはるかに超えた第一次世界大戦での賠償金であった。同国が連合国側にしばらくの支払いの猶予を願うと,これを不誠実とみなした旧連合国は,〔2〕この国の工業中心地を占領した。
 Cの国は,第一次世界大戦後のヨーロッパ購買力が減退し,また植民地の生産力が増大したことにより輸出は伸び悩み,さらに戦争遂行に関連してAの国から大量の債務を負ったため,従来のような国際的地位の維持が困難になった。  
 Dの国は,第一次世界大戦の時期,連合国などに物資を供給して国内産業が急激に活気づいた。また,この機に乗じて近隣国家における主権を脅かす要求を突き付けたり(1915年),〔3〕革命途上にある隣国に大規模な武力干渉を行った(1918年〜)。しかしこうしたにわか景気も,1923年に発生した大地震の影響もあって後退し,労働運動や民主主義運動が高揚,政府はこれを抑制する方向に向かった。
 Eの国は,革命によって成立した政府が,連合国側と戦争終結に向けた講和を急いだが,新政府が旧政府の債務を破棄することなどが一因となって,連合国による干渉戦争を招いた。このため経済が混乱すると,〔4〕政府は非常委員会を中心に,農産物徴発などの非常手段で困難を克服せんとした。これはある程度の成果をあげたが,ひきしめのため労働者・農民の不満が増大したので,やがて〔5〕銀行・大工業・交通機関・貿易などの重要部門以外での私的経営を許す政策に移行した

〔1〕下線部〔1〕の憲法の名称を答えよ。
〔2〕下線部〔2〕に該当する地方の名称を答えよ。
〔3〕下線部〔3〕の武力干渉の名称を答えよ。
〔4〕下線部〔4〕の時期の経済政策を何と呼ぶか答えよ。
〔5〕下線部〔5〕の政策を何と呼ぶか答えよ。
〔6〕上の表の中で,A〜Dの国家は1930年代前半にいずれも共通して工業生産の落ち込みが確認される。この背景にある経済現象の歴史的名称を何と呼ぶか答えよ。
〔7〕上の表の中で,Eの国家は他の国家と異なり,1930年代前半にも良好な経済成長を示した。(a)その背景にある経済政策の名称を記せ。また,(b)この政策の過程で農業集団化が進んだが,そこで誕生した集団農場を何と呼ぶか答えよ。
〔8〕上の表にある国家で,いわゆる「ファシズム化」によって社会経済的苦境から脱出しようとしたのはどこか,すべてを記号で答えよ。
〔9〕Aの国の1930年代における経済回復の背後には,国家による積極的な経済への介入がある。では,(a)の政策の理論的基礎を考察した修正資本主義の立場にたつ代表的な経済学者は誰か,その名前を記せ。また(b)この政策の一環として,大資本の利潤を抑制し,労働者の団結権と団体交渉権を認めた法律が制定された。その名称を記せ。
〔10〕Bの国は,1933年には軍備平等権を主張して国際連盟を脱退し,やがて再軍備宣言を行った。この国を指導した政党の名称を記せ。
〔11〕Cの国は1930年代前半に,本国と各自治領間の関税を下げ,他国に対しては高関税を課す政策を採用した。(a)この政策を何と呼ぶか,「〜経済政策」の表現で答えよ。また,(b)この政策を決定した会議を何と呼ぶか答えよ。
〔12〕Dの国は,1930年代前半にある国の一部に自らの「かいらい国家」建設を強行したある国とはどこか,当時の国名で答えよ。

[7] 次の文を読み,下記の設問A〜Cに答えよ。[立教・改題]

 第二次世界大戦後,ほぼ30年間にわたって先進工業国は高度成長を経験したが,この高度成長は,アメリカの主導のもとで形成されたIMF・(1)GATT体制という国際的枠組みにも支えられていた。しかしながら発展途上国の側をみると,第二次世界大戦後,(2)政治的独立が大幅に進んだにもかかわらず,先進工業国と発展途上国の経済格差は拡大の一途をたどったため,南北問題が発生することになった。これに対して国連は,1964年に( イ )を開催し,発展途上国に対する開発援助によって問題の解決をはかろうとした。こうした援助の一つに,発展途上国の商品に対する関税優遇措置がある。1970年代になると,現在の(3)アジアNIESを中心とする発展途上国・地域の一部には,この優遇措置をも利用して輸出産業を中心に経済成長をとげ,所得を上昇させる国が現れた。また産油国においても,1973年の原油価格引き上げによって所得が上昇した。そのため発展途上国でも,急速に所得が上昇した国と貧困状態が続く国のあいだに経済格差が広がるという新たな問題が発生した。この新たな問題は,南北問題との対比で( ロ )問題と呼ばれることになった。
 ところで,先進工業国の高度成長期には(4)ECと日本が経済力を増したため,アメリカの圧倒的優位は次第に崩れ,アメリカの貿易収支は〔 あ 〕年には赤字に転落した。さらにアメリカは,北爆を開始した( ハ )大統領のもとで本格化したヴェトナムヘの軍事介入によって膨大な金準備を失ったため,( ニ )大統領は〔 あ 〕年に金ドル交換停止を発表した。こうして,金ドル交換によって支えられていた各国の通貨価値も不安定になり,1973年になると主要国の為替相場は( ホ )相場に移行した。おりしもこの年は,エジプト,シリアがイスラエルに占領された地域の奪回をめざして第〔 い 〕次中東戦争を起こした年であった。中東産油国は〔 う 〕で,原油価格の引き上げと原油供給の削減を決めて,両国を支援した。このようなドル危機と石油危機は,先進工業国の高度成長の終わりを決定的なものとし,また戦後の国際経済秩序をも揺り動かした。そして先進工業国は危機に対応するため,〔 え 〕の提唱により,〔 お 〕年から先進国首脳会議(サミット)を開くことになった。
 しかし,アメリカの貿易赤字は解消せず,とりわけ1980年代前半の( ヘ )大統領のもとでのドル高によって,この赤字は拡大した。そのため,アメリカは一方では1985年の( ト )合意でドル安の誘導をめざし,また他方ではドルの国際的偏在を解消するために各国に金融自由化を迫った。この自由化は,国際的な短期資金の移動を活発化したが,今日に至るまで波状的に生じる各国の通貨危機の原因ともなった。そして市場経済へと移行したロシアも,この危機を免れえなかった。
 ソ連の市場経済への移行の契機となったのは,〔 か 〕年のゴルバチョフの書記長就任であった。(5)ソ連の現状打開のために彼が推進した運動は,東欧にも影響を与え,(6)ベルリンの壁の崩壊に象徴される東欧社会主義圏の解体につながった。この東欧の激動が今度はソ連にも反作用を及ぼし,バルト三国の独立宣言が引き金となって,多くの共和国が主権を宣言した。そして(7)ロシアを中心とし,当初グルジアを除く11の主権共和国から構成されるゆるやかな連合体が形成され,ソ連は解体した。その後ロシアは,本格的な市場経済化に踏みだすことになった。

A.文中の空所( イ )〜( ト )それぞれにあてはまる適当な語句をしるせ。

B.文中の空所〔 あ 〕〜〔 か 〕にあてはまる適当な語句または数字を,それぞれ対応する次のa〜dから1つずつ選び,その符号をマークせよ。
〔あ〕 a.1967 b.1969 c.1971 d.1972
〔い〕 a.1 b.2 c.3 d.4
〔う〕 a.ASEAN b.OECD c.OAPEC d.PLO
〔え〕 a.アメリカ b.イギリス c.日本 d.フランス
〔お〕 a.1975 b.1977 c.1980 d.1982
〔か〕 a.1980 b.1985 c.1989 d.1991

C.文中の下線部1)〜7)にそれぞれ対応する次の問1〜7に答えよ。
1.GATTが発足したのは何年か。次のa〜dから1つ選び,その符号をマークせよ。
a.1944年 b.1945年 c.1947年 d.1951年

2.旧植民地の独立は1960年代に入ると加速したが,1960年に17ヵ国が一挙に独立した地域はどこか。次のa〜dから1つ選び,その符号をマークせよ。
a.アフリカ b.東南アジア c.西アジア d.ラテンアメリカ

3.当初,アジアNIESは「四匹の小竜」と呼ばれていた。それに含まれていなかった国・地域を,次のa〜eから1つ選び,その符号をマークせよ。
a.韓国 b.シンガポール c.タイ d.台湾 e.香港

4.1993年にECはEUとなるが,1995年末時点のEU加盟国数はどれか。次のa〜eから1つ選び,その符号をマークせよ。
a.6 b.9 c.10 d.12 e.15

5.この運動の総称は何と呼ばれるか。その名をしるせ。

6.当時の西ドイツの首相は誰か。その名をしるせ。

7.この連合体は何と呼ばれるか。その名をしるせ。


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